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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

蛍、納屋を焼く、その他の短編 / 村上春樹

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     村上春樹の初期短編集で、特に「」は好きな作品である。この作品はよく知られているように、後に大ベストセラーとなった「ノルウェイの森」の導入部に丸ごと底本として使われた短編である。

  しかし、その膨らませ方は私にはあまり好ましいものとは思えなかった。性描写や文章に抑制の効いたこの作品の方が私は好きである。

 

  舞台は主人公の「」が大学生となり上京し入った学生寮。「文京区の高台にある」この寮のことを、

あるきわめて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団法人によって運営されている

と書いているが、これは彼が実際に入った和敬塾をそのままモデルにしている。ちなみに右翼的な人物とは前川昭一のことで、先日加計学園問題で物議をかもした前川喜平前文部科学事務次官の父親である。

 

  彼はその気風と共同生活になじめず、ほんのわずかの期間いただけで退寮したそうだが、この小説の冒頭ではその当時の寮の日常を的確に描写し、くそまじめでいいやつだが、ややはた迷惑な「同居人」をユーモラスに語っている。(この人物は「ノルウェイの森」では「突撃隊」というニックネームをもらっており、しかも唐突に姿を消す。それについては様々な議論がある。村上春樹自身が語るところによれば実在のモデルがいたそうだ)

 

   そして場面は切り替わり、半年ぶりに四谷で会った「彼女」とのエピソードが語られ始める。

  高校時代の彼女の恋人は僕の親友で、いつも三人でつるんで遊んでいた。その親友は僕とビリヤードをした後N360の中で排ガス自殺した。動機は全く不明。彼女は最後に会っていたのが自分ではなく僕であったことに腹を立てていた。

できることならかわってあげたかったと思う。しかしそれは結局のところ、どうしようもないことなのだ。一度起こってしまったことは、どんなに努力しても消え去りはしないのだ。

 僕も悩んだが高校を卒業して東京に出てきた時、はっきりと決めたのは

あらゆるものごとを深刻に考えすぎないようにすること

だった。そして時が経つにつれ、僕の中にある何かしらぼんやりとした空気のようなものは言葉に置き換わった。

 

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

 

  それまでの一連の彼の作品に漂う空気を一息で言語化したものでもあり、その後の作品の一つの道標となっていく重要な文章である。

 

  僕は死はすでに僕の中にあると考えている。だからこそあらゆる物事を深刻には考えないようにしているのだ。

  そしてより深く死にとらわれているのが「彼女」である。それを村上春樹

 

彼女の眼は不自然なくらいすきとおっていた。

 

と表現している。そしてその透明度は後半ますます増していく。

 

  そして彼女の二十歳の誕生日にある出来事があり、彼女は姿を消す。僕は彼女に手紙を書き、彼女から返事がある。村上春樹文学で最も有名なヒロイン「直子」の雛型がここにある。

 

  この短編は、同居人から貰った蛍が寮の屋上の給水塔の暗闇の中でうすぼんやりとした光を放ちながら、長い時間僕に見つめられ続けたのちに、ようやく飛び立っていく姿を描いて終わる。

 

  僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指には何にも触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。

 

続く「納屋を焼く」は全く違った物語だが、ここでも僕の彼女は最後に姿を消す。

 

夜の暗闇の中で、僕は時折、焼け落ちていく納屋のことを考える。

 

なんとなく共通項が見えてくる。この時期の村上春樹は喪失と死についてとても敏感な感性を有していた。そしてそれをうまく暗闇の中の「」の光や「納屋を焼く」イメージに投影していた。

 

  「踊る小人」も面白い作品で、これもラストが見事である。「めくらやなぎと眠る女」は後年の短編集「レキシントンの幽霊」でもう一度書いているので比較して読むと面白い。「三つのドイツ幻想」はやや散文的だが、第一章はその後横溢していく彼のセックス描写の原点を示すものなのかもしれない。

 

  何はともあれ、村上春樹の作品を未読の方に「まず試しに読むならどれがいいか」と尋ねられたら、私は迷わず「」と答える。