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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

空海「三教指帰」-ビギナーズ日本の思想

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  先日読んだ「空海の風景」で司馬遼太郎先生が数々の空海の著作や口伝を詳説されていた。そのうちの一つでも読んでみたいと思っていたが、「三教指帰(さんごうしいき)」が角川ソフィア文庫の「ビギナーズ日本の思想」から出ていた。著者は大正大学講師、千葉・金乗院住職の故加藤純隆(じゅんりゅう)氏と慶應義塾大学名誉教授、高野山大学客員教授、東京・南蔵院住職の加藤精一氏。

 

  精一氏の解説によると祖父加藤精神師が岩波文庫で訳注を出し、父純隆師が世界聖典刊行協会から口語訳を出版、それを精一氏がソフィア文庫側からの依頼で思い切った意訳にしたのが本書であるとのこと。本書はその意訳と訓み下し文の双方が掲載されており、とても分かりやすく親切な内容となっている。

 

  空海19歳の初著作で、内容はよく知られているように儒教道教仏教(大乗)の三つを比較してどれが一番優れているかを検討したものとなっている。儒学色の濃い大学にいた空海が何故こういうものを書く必要があったのか?

  

  それは、当時周囲の努力もあり晴れて大学生となった空海であったが、その教育内容が

 

単に世に処するためだけのもので人生の真理を探究するものでない

 

ことに不満を抱き、さる僧侶から「虚空蔵求聞持法」を伝えられたことをきっかけに仏教の道を選ぶ決心をした。しかし、当然苦労して大学に入学させ将来を嘱望していた周囲の者から反対される、特に一番お世話になり、漢学の基礎を叩き込んでくれた阿刀大足(あとのおおたり)を説得せねばならない、そのために著したのがこの書である、とされている。

 

  このあたりを司馬遼太郎先生は「空海の風景」で詳説されていて大変面白かった。その中でも触れられているが、この書ががちがちの堅い論文ではなく、戯曲構成で面白く読めるようになっているところ、当時日本では全く浸透していなかった道教までわざわざ入れているところ、あたりに空海の陽性な茶目っ気があり、阿刀大足に対する配慮もあったものと思われる。

 

  前置きが長くなってしまったが、登場人物は5人。

蛭牙公子: 放蕩三昧のバカ息子で父の兎角公を悩ませている

兎角公: 名家の名士で息子の放蕩に悩み説得できそうな人物を呼ぶ

亀毛先生: 儒学者阿刀大足がモデルと言われている。

虚亡隠士: 道教の道士。

仮名乞児: ぼろを着て食うや食わずの状況で仏道の修業をしている。たまたま托鉢に訪れた兎角公宅で前二人の論争を耳にして自分も参加する。もちろん空海その人のカリカチュアである。

 

  というわけで、だれがこのバカ息子を説得できるかで優劣を決するわけであるが、論争といっても三人がそれぞれの意見・見識を披露するだけで、質疑応答的な論争はなく、肩透かしを食ったような感じだった。亀毛先生、虚亡隠士、仮名乞児の順番で発言し前者を論破していくのだから、後出しじゃんけんのようなもの。

  これで仏教の優位性を説かれても、後世の我々にはちょっと納得できないが、阿刀大足は納得したようであるし、「続日本後記」によると朝廷に献上された後は貴族を中心に広く読まれ、任官試験対策としても重要な書となっていたそうである。

 

  しかし、結局どんな栄華を誇ろうが、どんなに悟達しようが、結局誰でも死んで体は滅び、地獄へ落ちればあんなことこんなことやら、とにかく阿鼻叫喚の責め苦の数々が待ち受けているのだぞ、ってのは単に脅しているだけ、これで四人ともが説得されるのか?という気がしないでもないが。。。

 

  とにもかくにも、この書に詰め込まれた情報量は圧倒的であり、訓み下し文でもわかる四六駢儷体の華麗な文章は19歳で書いたものとは到底信じがたいほどのもの。さらには司馬先生が書いておられたように、仮名乞児が乞食のなりでござをかかえ、背中に椅子を背負っているのは

 

兜率天へゆく旅姿だ

 

とみずから説明しているように、その後の空海の人生は兜率天へゆく旅そのものであった。仮名乞児に託した自らの抱負で人生を貫いたところに空海の真の偉大さがある。天才空海の決意表明文として凄みのある書であった。

 

  最後に一つだけ。中国の戦国時代に扁鵲という医師がいて心臓移植をしたそうである。まじか!

  

『日本に真言密教をもたらした空海が、渡唐前の青年時代に著した名著。放蕩息子を改心させようと、儒者・道士・仏教者がそれぞれ説得するが、息子を納得させたのは仏教者だった。空海はここで人生の目的という視点から儒教道教・仏教の三つの教えを比較する。それぞれの特徴を明らかにしながら、自分の進むべき道をはっきりと打ち出していく青年空海の意気込みが全編に溢れ、空海にとって生きるとは何かが熱く説かれている。(AMAZON解説より)』