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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

空海の風景 / 司馬遼太郎

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   最近司馬遼太郎先生の本を読んでいるのは、この作品を再読したいと思っていたから。「本が好き!」をやめる前から考えていたので、ずいぶん遠回りしてしまったことになるが、ようやく再読した。

  できれば発刊当時の感動を味わうべく単行本で読みたかったのだが、何度ブックオフに出かけても見つからず、結局Kindle版で読んだ。冒頭に

 

この電子書籍は(中略)一部について底本と異なる場合があります。

 

という注釈があるのが気になるのだが、もう以前読んだのははるか昔のこと、どこが違うかは分からない。

  兎にも角にも、始まりのこの文章で初読当時の感激が蘇ってきた。

 

空海がうまれた讃岐のくにというのは、(中略)野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており、

 

  私は空海の生まれた地とされる善通寺で一年間暮らしたことがある。そこに赴任する際、香川県の風景を見て全く同じ思いをした。司馬先生は何気ない筆致で見事にその情景を描写されている。 

 

  この調子で、讃岐の地理歴史、空海の家系等が綴られていく。まるで随筆か紀行文のごとき伝記である。しかし途中で唐突に注釈が入る。

 

いまさらあらためていうようだが、この稿は小説である

 

  これが司馬先生独特の小説スタイル。賛否両論あるが、飽きずに読ませる技量はこの上下巻ある長い作品でも健在。

 

  上巻では上に述べた空海の出自や家族縁戚の説明に始まり、奈良京都での修業時代、そして官吏としての栄達の道を捨て仏教を志して出奔した空白の七年間の想像、そして遣唐使に加わり艱難辛苦の末に長安に至り、青龍寺恵果和尚に金剛胎蔵両密を完璧に伝授され、わずか2年間で帰国するまでが描かれる。

 

  下巻では帰国後の密教の理論体系の確立と密教布教戦略、特に最澄顕教との対峙が延々と語られる。最後は空海入滅(死去)だったか、入定(即身成仏)だったかが検証され、この長い「稿」を司馬先生は終えられる。

 

  読み物としては陽性で明るい上巻のほうが、暗くてやや陰湿な下巻よりも圧倒的に面白い。遣唐使のくだりに至っては、最近読んだ夢枕獏先生の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」に負けず劣らずの面白さである。逆に言えば、完全なフィクションの部分を除いては夢枕獏先生は極めて史実に忠実であったのだな、と感心させられた。

  ただ、面白さを求めて読む小説ではないので、そこは我慢が必要だろう。

 

  個人的な思い出としては母校のあった東大寺が頻繁に出てくるのが懐かしかった。在学当時の理事長であった清水公照先生も顔をのぞかせている。東大寺の宗派華厳宗密教色が混じているのは空海別当になったからであることもよくわかった。

 

  以上、レビューというよりは個人的な読後感であるが、記してみた。それにしても遠い昔の風景の中の人ではあるが、空海は膨大な書物、書字、口伝を残している。とは言え司馬先生のようにそうそう読みこなせるものでもない。ただ若い頃に仏教、道教儒教を比較して仏教の優位性を寓話の中に説いたとされる「三教指帰」については興味が湧いたので読んでみようかと思っている。

 

 

 『平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。(AMAZON解説より) 』