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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ミノタウロス / 佐藤亜紀

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  佐藤亜紀を読むシリーズ、前回の「1809」から、レビュー済の傑作「天使」「雲雀」を経て、いよいよ代表作「ミノタウロス」、2007年の作品に辿り着いた。この時点で彼女を新人とするのもおかしな話だが、第29回吉川英治文学新人賞を受賞している。それほどの作品がAMAZONの中古本で1円。時の流れというか、佐藤亜紀の評価が低すぎるというか。まあとにかく読んでみた。

 

  舞台は20世紀初頭のウクライナ地方である。冒頭の地図に1913年とあるので、そのあたりから始まって断末魔の帝政ロシアからロシア共産主義革命を経てウクライナ内戦時代あたりまで。

  赤軍、白軍、強盗団入り乱れ、これぞ無政府状態、と呆然とするような荒涼たる世界を佐藤亜紀は例の如く一切説明抜きの淡々とした衒学的な文体で描き尽くす。

 

   まあ凄い小説だ。吐き気がする。佐藤亜紀に免疫ができているから読み終えられたが、殺戮、凌辱、強奪が当たり前のアナーキーな世界を主人公が渡り歩く。

  ピカレスク・ロマンと言えば最近読んだコーマック・マッカーシーの一連の作品のメキシコを思い出すが、あれほどねちっこくリアリスティックではないが、その分ドライに次から次へと殺しまくり、強姦しまくる。たまには逆に男に強姦されたりする。ズタボロになるまで殴られたりもする。

 

  何故この黙示録的世界を「ミノタウロス」と名付けたのかも、一切説明はない。ネタバレになるが、文中にミノタウロスという神話の半牛半人は出てこない。

        いささかうっとうしい、力み過ぎ喋り過ぎの岡和田晃の自己満足的解説を読んでもハイそうですかと納得できるものでもないが、何となくそんなとこだろうな、ということは書いてあるので、ここでは詮索しない。

 

  それはともかく、この時代の混沌のウクライナを通して佐藤亜紀はどういう人間を、どういう世界観を描きたかったのか?主人公で語り手であるヴァシリーという、成り上がり農場主の息子である少年の思考を通して、ある程度見えているものはある。

 

  まずは冒頭、「神性」について語る彼女らしい辛辣な文章がある。

 

農場の上がりを歩合で取る差配は、親父には畏敬の対象だった。揺るぎない支配は神性に似ている。狡猾も、残忍も、十の子供を眠気と空腹と諦めで小さく縮んだ老人に変えてしまって顧みない冷淡も、神々の特質に他ならない。

 

  ヴァシリーは農場主の子供なのである程度の教育は受けている。ならず者に成り果ててもシラーは読むし、シェイクスピアは「学のないやつらが読む」とバカにする。トリスタンとイゾルデの話を馬鹿にしながら映画の字幕を自分勝手に訳す。

  途中で相棒になる飛行機マニアのドイツ人ウルリヒも、元々がインテリ階層で、学がある上にピアノも弾ける。

  しかしこの世界では学など何の役にも立たないことをヴァレリーは知り尽くしている。ウルリヒはまだ倫理観や女性に対するまともな愛情が残っている。この二人の違いが後半決定的な事件を引き起こす。

 

  ちなみにヴァシリーが会得した真理を佐藤亜紀が滔滔と書き綴っている。

 

ぼくは美しいものを目にしていたのだ - 人間と人間がお互いを獣のように追い回し、躊躇いもなく撃ち殺し、蹴り付けても動かない死体に変えるのは、川から霧が漂い上がるキエフの夕暮れと同じくらい、日が昇っても虫の声が聞こえるだけで全てが死に絶えたように静かなミハイロフカの夜明けと同じくらい美しい。(中略)それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。こんなに単純な、こんなに自然なことが、何だって今まで起こらずに来たのだろう。誰だって銃さえあれば誰かの頭をぶち抜けるのに、徒党を組めば別な徒党をぶちのめし、血祭りにあげることが出来るのに、これほど自然で単純で簡単なことが、なぜ起こらずに来たのだろう。

 

  佐藤亜紀自身が人を殺していいと思っているわけでは勿論ない。この時代のウクライナ情勢を借りて中世キリスト教社会を痛烈に皮肉っているのだろう。それにしても何と簡潔で何と判りやすく何と恐ろしい文章か。

 

  そして最後には「人間性」というよく分からないものについて、もう一度考える。ウルリヒの操縦する飛行機で好き勝手やり過ぎて頭目につかまり、ウルリヒと殺し合いを命じられ、ウルリヒを刺し殺してしまった後で、お情けで昔の情人マリーナに逃がしてもらって僕は泣く。

 

人間を人間の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。それがなくなれば定かな形もなくなり、器に流し込まれるままに流し込まれた形になり、さらにそこから流れ出して別の形になるのを―(中略)ぼくはまだ人間であるかのように扱われ、だから人間であるように振舞った。それをひとつずつ剥ぎ取られ、最後の一つを自分で引き剥がした後も、ぼくは人間のふりをして立っていた。(中略)そしてこれこの通り、ウルリヒは死に、マリーナにはせせら笑われて放り出されたぼくは、人間の格好をしていない。

 

人間でなくなったものが最後にどういう行動をとるのか?佐藤亜紀の冷たく突き放した描写は見事だった。

 

 

帝政ロシア崩壊直後の、ウクライナ地方、ミハイロフカ。成り上がり地主の小倅(こせがれ)、ヴァシリ・ペトローヴィチは、人を殺して故郷を蹴り出て、同じような流れ者たちと悪の限りを尽くしながら狂奔する。発表されるやいなや嵐のような賞賛を巻き起こしたピカレスクロマンの傑作。第29回吉川英治文学新人賞受賞。(講談社文庫) (AMAZON解説より)』

 

 

佐藤亜紀を読むシリーズ

バルタザールの遍歴

戦争の法

鏡の影

モンティニーの狼男爵

1809

天使

雲雀

スウィングしなけりゃ意味がない