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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

きまぐれ博物誌 / 星新一

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  星新一さんの代表的なエッセイ。奥付きを見ると、昭和51年とある。なんでそんな古い本を、それもエッセイを、今まで持っていたのか不思議な気もする。これも何かの縁だろうと再読してみた。

 

  温故知新というと大げさすぎるかもしれないが、彼がその頃観察していた「現在」と「考えていた未来」が懐かしくも面白くて微笑ましい。AMAZONの解説(下記)にもあるが、「公害・十年後の東京という、星流ショートショートと言っても過言でない長めのエッセイの洞察の深さにも感心させられた。

 

  40年経っても変わらないものには自然科学関係の知識や人間観察がある。「思考の麻痺」にある地球の移動速度、

 

ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。(中略)速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。

 

なんてエスプリに満ちた年賀状の文言はこれからも何億年単位では変わらないだろうし、父の苦闘を回顧しての「官吏学」での

 

官吏への文句をあげれば、きりがない。不親切である。能率が悪い、責任逃れ、心からの謝罪をしない、恩着せがましい、などかずかずある。

 

という一節は最近のニュースを読んでの感想だと言われても違和感はない。

 

  一方でハードウェアの方はさすがに古い。この頃にもうハードウェアとソフトウェアという単語ができていたこと自体は驚きだが、コンピューターに関しての記述をよむと40年という歳月を感じざるを得ない。

 

  「一日コンピューターマン」というエッセイでは読売新聞社の電子計算機室を訪れてレポートされている。恐ろしく大掛かりな施設で配線だらけである。当時は「電算機」とも呼ばれていた。記録媒体は磁気テープだった。プログラミングはパンチャーが紙にパンチを入れて作っていて、フェイルセーフとして二人が同時に同じプログラミングをしていた。

 

  こんなレベルで人類は月へ行ったのである。大したもんだ。それに私の大好きなロック音楽の分野では、今レベルのシンセサイザーなどあろうはずもないが、メロトロンは大活躍していた。ビートルズはもうとっくに解散していたが、プログレッシブ・ロックグラム・ロックなど、今でも一番好きな音楽はこの頃に作られていたのである。

 

  そして忘れていたことがあった。彼が読み尽くし、自分の文体のお手本にしたのは杉村楚人冠という元朝日新聞記者の方の文章だったのだ。

 

 むずかしい文章は決して使わないが、それでいて自己の感想をすっかり読者に送りこむ。絶妙としかいいようがない。(「読書遍歴」)

 

 

  この人の本を読もうと思っていてまだ果たしていない。AMAZONで見ると当然ながらほぼ廃刊で中古で高値がついている。これも40年の時の流れという事か。

 

  個人的に、というか職業的に懐かしかったのは武田薬品ニコリンという点滴製剤。意識障害の改善という私の専門科では画期的な薬が出た、と当時は使いまくったが、全くと言っていいほど効かなかった。やっぱり夢のような薬なんてないねえ、ともう過去の薬と我が科では思われている。

  で今はもう製造もしなくなっているものと思っていたが、ググってみると、まだあるらしい。適応病名もいっぱいある。驚きだった。

 

 

『売り物になるショートショートの3要素は、新鮮なアイデア、完全なプロット、意外な結末。では、どうすればその条件をそなえた作品を書けるのか?「SFの短編の書き方」を始め、星新一独特の“ものの見方”、発想法が垣間見える名エッセイ集。短編集未収録の時事ショートショート「公害・十年後の東京」「せまいながらも」「三隠円の犯人」「未来のあなた」「宅地造成宇宙版」を収めた、ファン必携の永久保存版。 (AMOZON解説より)』