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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

尻啖え孫市(上)(下) / 司馬遼太郎

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  和田竜の「村上海賊の娘」で久しぶりにその名前を目にした雑賀の孫市。この男の小説と言えばこれしかない、という決定版。司馬遼太郎先生の「尻啖え孫市」だ。

 

 

織田信長岐阜城下に、真っ赤な袖無羽織に二尺の大鉄扇、「日本一」と書いた旗を従者に持たせた偉丈夫がふらりと姿を現した。その名は雑賀孫市。鉄砲三千挺の威力を誇る紀州雑賀衆の若き頭目だった。無類の女好きが、信長の妹を見初めてやってきたのだ。孫市を何とか織田方に引き入れようと、木下藤吉郎は策を巡らす。はたしてその姫君とは…。戦国を駆け抜けた破天荒な快男児を描く痛快長編!(AMAZON解説より)』

 

  エッセイ的な語りから始めて、小説というウソ話に持ち込む、という虚実皮膜の手法で歴史上の英傑を活写しつつ深い洞察を加える、というスタイルで「司馬史観」を築いていった司馬先生。この手法には批判もあるが、とにかく面白いのは間違いないところ。

 

  今回描くのは、戦国時代というある意味自由な世を謳歌していた紀州雑賀の鉄砲衆の首領雑賀孫市、旧弊の因襲を良しとせず徹底的に破壊しつくして天下を取らんとする織田信長、そしてその仲を取り持つ食えない男木下藤吉郎。そして親鸞の教えをある意味捻じ曲げて巨大な宗教組織となり、織田信長の前に立ちふさがる一向宗

 

  これらをまともに論じると頭が痛くなるような複雑な話になるが、司馬先生の手にかかると、スリル満点の歴史アクションに適度なお色気が混じりあい、抜群のページターナーと化す。筆が滑りすぎて雑賀の末裔の方々から、孫市を好色に描きすぎるとお叱りを受けた、という話題から始まる章もあるくらい。

 

  和田竜も「村上海賊の娘」でこの時代の人間の生き方に共感を寄せていたが、司馬先生も、孫市、藤吉郎、信長、それぞれに思いを寄せていて見事だ。

 

  一向宗については、やはり信者を

 

欣求浄土(死こそあこがれ)」

「厭離穢土(この世はいや)」

 

といういわば洗脳で信者を死に追いやる集団である、という点に司馬先生は批判的である。現在の道徳観・宗教観からすれば当然であるが、ひたすら身分差別で虐げられていた当時の民衆にとってあまりにもまぶしく新しい価値観であったことも確かだったであろう。その辺りの機微を知り尽くした語り口はやはり面白い。なにしろ、最後の最後の戦いのクライマックスで、ひたすら女好きで自由奔放で一向宗嫌いだった孫市さえもが

 

南無阿弥陀仏

 

と唱えて陶然となるのである。

 

  まあ、読んで損はない、抜群に面白い小説である。