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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

スウィングしなけりゃ意味がない / 佐藤亜紀

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馬鹿の帝国」対「スイングユーゲント」。ハンブルグの上流階級の息子たちのナチへの反抗と悲劇をスイングジャズに乗せてコミカルにシニカルに描き尽くしているが、文章が平易すぎて佐藤亜紀とは思えない。

 

 

 佐藤亜紀を読むシリーズ、年代順に読んできましたが、今の佐藤亜紀を知っておくのもよいかと思って、2017年の最新作「スイングしなけりゃ意味がない(It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing)」を読んでみました。

 

  題名は言うまでもなくスイングジャズの名曲の題名ですが、各章にもスタンダード・ジャズの名曲の名前が冠せられています。

  しかし舞台はアメリカではなく、ナチスドイツ統治下に無謀な戦争に突入した時代のハンブルグ。その町にたむろする上流階級のティーンエイジのお坊ちゃま達が、夜ごとゲシュタポに狙われながらも繰り広げるジャズ・パーティの様子が描かれ、物語は幕を開けます。

 

  佐藤亜紀があとがき「跛行の帝国」で解説しているところによりますと、

ジャズは、ワイマール共和国時代には既に、ドイツ社会に浸透していた。.....BBCでさえ開戦後、ドイツのリスナーが熱望していることに気が付くまでジャズの放送には積極的でなかったことを考えると、例外的なジャズ先進国だったとも言える。.....ナチスのジャズ取り締まりが奇妙な混乱を示すのはそのためだ。

だそうです。

 

  これに限らず佐藤亜紀は膨大な参考資料を読み込み(もちろん原文日本語問わず)、それを完全に消化して、スウィングジャズに熱狂するスイングユーゲント(スイングの好きな若者)の一人、ハンブルグの大工場の息子エディとその友人たちの性根の据わった放蕩っぷりを描きます。 馬鹿の帝国の総統やゲーリングゲシュタポ、SS等々をこき下ろし馬鹿にしつつ、 監視の目も気にせず遊びまくり、 自分も友人も痛い目にあいながら、 対米宣戦布告でジャズが聴けなくなったら したたかに海賊版でぼろもうけし、 Uボートする(潜伏逃走)つもりが ハンブルグ大空襲で町が灰燼に化し、 両親の死にもめげず、父親の工場をあれこれ手管を使ってきっちり立て直し、 ペルヴィチン(=ヒロポン)をボリボリ飲み下しながらナチの接収に抵抗し、 財産をひそかにドルに換金して埋め隠し、 ハンブルグが単独降伏する幸福な瞬間を迎えるまで。

 

  軽快なジャズナンバーに乗せて、当時のハンブルグの町と若者の行動と、ナチの暴虐と思想の愚かさと、あまり知られていなかった収容所の囚人の人種や強制労働の実態と、アーリア人なる滑稽な概念等々を、コミカルにシニカルに描きつくしたプロットの緻密さはさすが佐藤亜紀と思わせるものがあります。

 

  ただ、文章が軽い。これが佐藤亜紀か!と驚く程平易な文章。途中をすっ飛ばしているので、どのあたりから文体が軽くなっていったかは彼女の作品を追っかけてみないと分かりませんが、これまでレビューしてきた彼女の作品とは全く異質です。

 

  とは言うものの、蘊蓄の限りを尽くした言葉遊び(サミュエル・ゴールドバーグだったり、ザンクト・ルートヴィヒ・ゼレナーデだったり、辛辣な文章、例えば

我々は総統閣下を信じている、の多様な雄弁さたるや、言葉とは何なのかを一度考え直す必要がありそうなくらいだった。

だったり、グロテスクに美しい文章、例えば

お袋は洒落たカクテルドレスを着て、共布の靴を履いている。親父は呆れたことにタキシードだ。お袋は親父の肩に顔を寄せ、親父は仰向けで目を開けたまま、呆れたね、と言いそうな顔で、溜息でも吐くように薄く口を開いて死んでいる。僕も呆れる。涙が出てくる。一体空襲の最中だっていうのに - 家が焼けてるっていうのに何やってたんだよ。古い手回しの蓄音機まで引っ張り出して。「楽しくない?(Ain't Got Fun?)」踊ってたのかよ。馬鹿じゃないのか。

ここから「Ain't Got Fun?」の佐藤亜紀流歌詞が始まる。お見事です。

 

  確実に言えることは初期のあの衒学的に凝りに凝った文章よりも、一般読者受けはするであろうという事。逆に言えばあれでのめり込んだものとしてはやや寂しいです。

 

  まあそれでもとにかく面白い小説、例えば全く同じ時代のナチや戦争を描いたアンソニー・ドーアの「All The Light We Cannot See」と対照的な明るさを持つ佳作だと思います。

 

 佐藤亜紀を読むシリーズ

バルタザールの遍歴

戦争の法  

鏡の影  

天使  

雲雀