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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

昨日がなければ明日もない / 宮部みゆき

⭐️⭐️

  宮部みゆきの杉村三郎シリーズ第五弾。私立探偵になって初めての「希望荘」に続き再び短編集で出版された。昨年末の単行本化なのでようやく現在まで追いついたことになる。

 

 杉村三郎vs.“ちょっと困った”女たち。自殺未遂をし消息を絶った主婦、訳ありの家庭の訳ありの新婦、自己中なシングルマザー。『希望荘』以来2年ぶりの杉村シリーズ第5弾!(AMAZON解説より)

 

絶対零度

  中編と呼んでいいくらいのボリュームであるが、ここまでの布石が効いて、杉村三郎というキャラクタ設定・人脈・周囲環境が確立しているので、内容にすっと入っていけてサクサク読める。ようやく私立探偵ものとして安定してきた感がある。

  AMAZON解説にあるように、自殺未遂をして消息を絶った女性の母の依頼により杉村三郎が動き出すのだが、早々に夫婦による自作自演の可能性が出てきてそこには大学の先輩もかんでいることがわかり。。。

  と、今回は速いテンポで話が進む。杉村三郎も多少の駆け引きや嘘は平気になってきているのが好ましい。とはいえ後半には話は陰惨となり、新たな殺人事件が起こり、気が滅入る様な事実が明らかとなる。宮部らしいといえば宮部らしい悪の描き方だが食傷気味ではある。

  ちなみに飛び道具である蠣殻オフィスの木田ちゃんを利用し過ぎ。彼がいれば何でもわかっちゃうというのはミステリの興を削ぐ。

 

華燭

  題名通り、結婚式をめぐる騒動に杉村三郎が巻き込まれる話。同じホテルの同じ階の二つの式及び披露宴がトラブルに見舞われるというのは、いくら何でも無理がありすぎる。宮部の最後の種明かし説明もさすがに説得力がない。

  面白いのは大家さん夫人「ビッグ・マム」が本格的に登場してさすがの貫禄を見せるところ、くらいか。

 

昨日がなければ明日もない

  本のタイトルになっている作品。「名も無き毒」の原田いずみや「楽園」の両親に殺された不良娘を彷彿とさせる、どうしようもない性悪自己中のシングルマザー登場で早速辟易。

 

  我慢して読んでいると中盤から不良娘の「妹」が出てくる。どうしようもない不良の姉と出来のいい妹というのは「楽園」と同じパターン。となると、このシングルマザーも?と思ってしまう。

 

  ここから先はネタバレになるので伏せておく。

 

  以上三作あるが一番最初の「絶対零度」が作品としては一番完成度が高い。あとの二つは今一つで、このシリーズもようやく私立探偵ものとしての位置を宮部作品の中で確立したところなのに、もうマンネリ化してきているのは心配。

 

 

 

 

希望荘 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️⭐️

  宮部みゆき杉村三郎シリーズ第四弾。「誰かーSomebody」「名も無き毒」「ペテロの葬列」長編三部作において、巨大コンツェルンの入り婿という「ドールハウス(解説杉江松恋氏の表現)」から、何故か事件に巻き込まれる運の悪い一市井人杉村三郎が観察し続けた現代社会の「」を描き尽くした宮部みゆき

  そして宮部はその三部作で用意周到に準備しつくした上で、杉村三郎を再び庇護のない社会に放り出し、そして「私立探偵」という職業を与えた。

  だから、本書は杉村三郎が私立探偵として活躍する初めての作品で、短編(と言っても中編くらいのボリュームはある)四作から成る。

  彼が研修し今も「調査員」として所属しているという設定の「オフィス蛎殻」が優秀であることもあり、話の流れがスムーズでようやく探偵小説らしくなってきた。

  また、三作で馴染みの喫茶店睡蓮」のマスター・水田大造が杉村の近所に引っ越してきて喫茶「侘助」を開いてしょっちゅう事務所に顔を出すのも嬉しい。率直なところ、とても面白かった。

 

 今多コンツェルン会長の娘である妻と離婚した杉村三郎は、愛娘とも別れ、仕事も失い、東京都北区に私立探偵事務所を開設する。ある日、亡き父が生前に残した「昔、人を殺した」という告白の真偽を調べてほしいという依頼が舞い込む。依頼人によれば、父親は妻の不倫による離婚後、息子との再会までに30年の空白があったという。はたして本当に人殺しはあったのか――。 表題作の「希望荘」をはじめ計4篇を収録。新たなスタートを切った2011年の3.11前後の杉村三郎を描くシリーズ最新作。 『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』に続く人気シリーズ第4弾。(AMAZON解説より)

 

聖域

  東京都北区の北東部、墨田川上流の流れを望む尾上町の古家の一角に事務所を構えた杉村探偵事務所としての初事件。と言っても、探偵事務所ともい見えない古家の一角を借りて「杉村」という表札を出しているだけなので、最初からそうそう客が来るものでもない。初めは殆どがオフィス蛎殻の調査員としての下請け仕事ばかりだった。

  そんな折、近所のおばさんが知り合いの女性を連れてきた。この女性も杉村と同じこの地の大資産家である竹中家の店子なのだが、同じテラスハウスの下に住んでいて先日亡くなった老婆が車いすに座って若い女性に連れられているのを見かけたというのだ。

  ここから大家さんの竹中家の細かい紹介が始まるがそれは省略。竹中さんの話によると葬儀を出したわけではなく、消えそうな声でもう死にますという電話があり姿を消した、というだけ。調べているうちに娘が新興宗教に入れ込んでいることが分かってきて。。。

  題材の割に後味は悪くない。杉村探偵事務所、いい出足である。

 

希望荘

  老人ホームに入居していた、人格温厚で評判のいい老人が心臓発作で亡くなった。ところがその老人は亡くなる少し前の昨年暮れごろから、しばしば自分は人殺しだ、それは昭和50年のことだった、と話すようになっていた。息子はある事情で、それが気になって仕方がない。そして杉村に調査を依頼する。

  昭和50年の殺人事件はもう犯人が分かっていて刑も確定していてその老人が犯人ではありえない上、歳月はその現場や老人が暮らしていた街を大きく変貌させていて、なかなか調査は進まない。そこへ依頼人の息子も絡んできて話はますますややこしくなるが、ある日突然街で見かけた情景から杉村はヒントをつかむ。

  これも宮部流人情噺ではあるが、老人の真意と言動にかなり無理がある。

 

砂男

  今回一番の長い話でしかも杉村三郎が探偵になるきっかけとなる話であるから、本作で一番の読みどころ。

  杉村三郎が離婚の失意のうちに決して喜んで迎えてはくれない故郷山梨へ帰り、余命幾ばくもない父の世話を焼いたり、農産物の販売センター「なつめ市場」を手伝ったりしている情景がまず丁寧に描かれる。

  次いで、配達先の一つである評判の蕎麦屋の夫婦にある事件が持ち上がる。その蕎麦屋は妻の親から引き継いだものだが、評判も良く繁盛していた、ところが夫が突然知り合いの女性と駆け落ち同然に姿を消してしまったのだ。妻は、自宅内で呆然自失しているところを杉村等に発見され、病院に入院してしまう。しかも身重であることも判明する。

  そして運命の出会いが訪れる。配達を頼まれて出かけた「斜陽荘」と言う別荘のオーナー、蛎殻昴(かきがら・すばる)との出会いだ。そう、彼こそ創業者である父を次いだ「オフィス蛎殻」の社長である。

  足に障害があるが車いすテニスの達人、極めて頭脳明晰、趣味も多彩、料理もうまい青年として描かれている。

  既に杉村三郎の過去と彼が出会った事件の詳細を調査しており、彼を呼んだのも当然目的があった。この蕎麦屋の事件の調査を通じて彼の調査員としての敵性と実力を推し量り、あわよくば社員として採用しようという腹だったのだ。

  杉村は当然ながらその調査を開始する。蕎麦屋の主人であった男には意外な過去があった。そして温厚に見えた人格も以前はそうではなかった。そこから話は一直線に進むと思いきや、杉村の予想は次々と引っくり返っていき。。。

  この話は本当によく練られていて感心する。そして杉村家の人々、前妻と娘もしばしば登場し、悲しくも暗い話の絶好の緩衝材となっている。

  そして蛎殻昴は最後に杉村に勧める。

 

「杉村さんにはうちみたいなオフィスの調査員より、フリーで動く私立探偵の方がいいと思います。生活が成り立つように、毎月うちからある程度の仕事を回しますし、サポートもしますから、独立開業したらいい」

 

二重身

  もちろんドッペルゲンガーのことであるが、それほど題名にこだわる必要はない。それよりこの物語に大きく扱われているのは、東日本大震災である。この物語は実際には大震災の4年後に書かれたそうである。さすがの宮部みゆきもこの体験を作品に冷静に取り入れて、感情に流されずまた扇動的にもならずに物語を構築することが出きるようになるまで、それだけの時間を要したということだろう。

  ここで杉村が担当するのはあるアンティークショップの店長の失踪で、依頼案件と言うよりは、ある女子高生が持ってきた相談に乗ったに過ぎない。その店長はアルバイトの店員によると、大震災の前日に東北地方に買い出しに出かけた。当然何万人と言う死者行方不明者と一人になった可能性がある。

  しかし杉村は蛎殻のある優秀な社員からこうアドバイスを受ける。

 

「杉村さん、余計なお世話を申しますが、その案件の場合、震災がらみのーこう、何と申しますかね、感情的に揺さぶられる部分は脇に置いて、単なる行方不明の案件としてとらえることを忘れない方がいいと思います。」

 

これはとても貴重なアドバイスとなる。と同時に、宮部自身が物語を綴るにあたり心したことでもあるのだろう。

 

  それでもこの物語に落としている大震災の影は大きい。

 

  その中で竹中家の末っ子、三男である竹中冬馬トニー)というユニークな新登場人物が新鮮な空気を物語に吹き込んでくれる。この話はこういう一文で終わる。

 

トニーはまだ、竹中家の父上から、原発の絵を描きに行く許しをもらえずにいる。

 

楽園 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️⭐️

  大作「模倣犯」はあまりにも登場人物が多く、一人一人取り上げていくとレビューが煩雑になるため、敢えて言及しなかったキャストも多かった。その一人に、前畑滋子というフリーライターがいた。事件を追いかけるルポライターとなり、主犯のピースこと網川浩一に翻弄されながらも最後にTV討論で一矢報い、自白を引き出した人物である。

 

  この前畑滋子を主役に据え、事故死した子供の母親からの奇妙な依頼に応じて取材するうちに、バブル崩壊直前の1989年に起きた両親による不良娘殺害事件の真相(深層)が徐々に明らかになっていくという筋立てで再び社会派ミステリーを宮部みゆきは書き上げた。それがこの「楽園」である。「模倣犯」に量的には及ばないものの渾身の力作であり、今回は「」というテーマも加わり感動的な物語である。

 

未曾有の連続誘拐殺人事件(「模倣犯」事件)から9年。取材者として肉薄した前畑滋子は、未だ事件のダメージから立ち直れずにいた。そこに舞い込んだ、女性からの奇妙な依頼。12歳で亡くした息子、等が“超能力”を有していたのか、真実を知りたい、というのだ。かくして滋子の眼前に、16年前の少女殺人事件の光景が立ち現れた。  (AMAZON解説上巻)

 

彼の告白には、まだ余白がある。まだ何かが隠されている。親と子をめぐる謎に満ちた物語が、新たなる謎を呼ぶ。 (AMAZON解説下巻) 

 

  宮部みゆきが「模倣犯」を書き上げることにより心身とも著しく消耗したように、この前畑滋子もあの事件で深く傷つき、事件の真相を本に著すこともなく9年が過ぎたという設定で物語は始まる。このあたり解説でも書かれているが、宮部みゆきの味わった苦悩を主人公に投影しているのであろう。前畑はしばしば

 

「犯人には勝ったかもしれないが、事件そのものには敗北した」

 

という言い方で自身の無力感を表している。しかし「前畑滋子という名前」は「あの事件を取材し犯人を追い詰めたジャーナリスト」として独り歩きしており、著作もあると誤解されている、という設定はうまい。

  ちなみにピースは当初はふてぶてしく嘯いていたものの今は拘禁反応に苦しんでいる。夫昭二と滋子はよりを戻しており、今回も滋子を励ましている。秋津刑事も再登場し彼女に協力する。

 

  というお膳立てのもと、今回彼女に依頼を持ち掛けるのは、ごく普通の中年女性萩谷敏子である。彼女は二か月前交通事故死した一人息子(ひとし)の描いた絵が未来を予見していたと前畑に語る。事故を起こしたトラックの絵もあるし、ある事件を予見していた絵もある。だから彼が超能力を有していたのかどうか調べてほしいと前畑に依頼する。

 

  事件に関する絵ではある家の地中に灰色の女性が埋まっている。等は生前「この人は出られなくて悲しんでいる」と言っていた。そして訪問の一か月前、つまり等の死後に、北千住の土井崎という家で火事があり焼け出された老夫婦が16年前にどうしようもない不良娘を殺して自宅下に埋めたと告白、なんと屍蝋化した茜の死体が発見されるという事件が起きたのだ。

 

  前畑はサイコメトラーについては詳しくはないが、当然当初は否定的である。ただの偶然か、あるいは無意識のうちに見聞したことを書いたのではないかと推論し、その証拠をつかむために早速取材を開始する。そして彼が知り得るはずのなかった、家の屋根に描かれていた蝙蝠の風見鶏という変わったオブジェが本当にあったことを知る。

 

  それでも半信半疑の滋子であったが、敏子に見せて貰ったある絵に強烈な衝撃を受ける。それはどう見てもピースの山荘であった。その地面からは埋められた女性たちの腕が飛び出しており、さらには絶対に等が知りえなかったはずの、ある被害者を埋めた場所の目印であるドンペリの瓶まで描かれていたのだ。。。

 

  そこから「断章」という全く本筋に関係ない少女のモノローグをたびたび挟みつつ、物語は息もつかせぬほどのスピードで16年前の事件に関する新事実を明らかにしつつ展開していく。

 

  「模倣犯」において私は医学的記述に瑕疵があると述べたが、今回は「超能力」である。ネタバレになるが、中盤あたりまで進んだ段階で前畑滋子は等に

 

実際に接した他人の記憶を読み取る能力

 

があったと確信する。フィクションとはいえ社会派ミステリーに超能力をアイテムとして持ち込んでいいのかどうか、評価はここで別れることだろう。ただ、宮部は超能力に関しては「龍は眠る」「クロスファイア」「蒲生邸事件」等で存分に使いこなし自家薬籠中のものとしているので、「模倣犯」よりもこちらのほうが説得力があると思えるほどうまくこのアイテムを使いこなしている。

 

  閑話休題、後半は等が誰の心を読んで土井崎茜のことを知り得たのかが焦点となり、彼女の当時の恋人であった札付きの悪、”シゲ”の存在が浮かび上がり、それが「断章」の事件と最終盤にリンクし、モノローグの少女の誘拐事件がクライマックスとなる。

 

  そして、最終盤、等の母敏子とシゲの母の二人の母同士が相対し、敏子が驚くべき行動をとり、事件は急転する。ずっと不幸な境遇のまま慎ましく生きてきただけの存在であった敏子が豹変する瞬間には驚きと涙を禁じ得ない。

 

  最後の心に残った、宮部らしい文章をいくつか。

 

  まずは、「理由」をはじめとして彼女がこだわり続ける、日本人の心の有り様の大きな変換点となったバブルの時期の描写。

 

だが、そんな彼女に、底抜けで拝金的で享楽的な時代は、彼女のまだ若い心では処理しきれないほどの情報を与えまくった。茜の頭と心が、最短距離を行くことだけが正解ではないという人生の素朴な心理を理解する前に、茜の我欲は、茜という人間の存在そのものを乗っ取ってしまった。(中略)あの夜、命を落とさなければ、茜はいつか気づいたろうか。そんな自分の幼い愚かさと、無駄にした時間がいかに尊く、取り返しのつかないものであるかということに。時間は浪費するのはたやすい。買い戻そうとするときに初めて、人は、その法外な金利に驚くのだ。(下巻p269)

 

  勿論、茜のぐれた原因はバブルの時代の風潮だけにあるのではない。人間としてダメだったからだ、という厳しい意見も忘れない。

 

「今はあのころより、もっとそういう風潮が幅を利かせているんじゃありませんか。わたしがちゃんとできないのは親が愛してくれないから。先生が不親切だから。環境がよくないから。みんな言い訳ですよ。」(下巻p296、茜の叔母木村夫人言)

 

  この作品が書かれた頃(2005-6年)よりさらに「言い訳」が幅を利かせ、利己主義が当然の権利とはき違えられる現在。宮部がまた前畑滋子を主人公とした小説を書くのであれば是非読んでみたい。

  その時には今回新たに登場し、なぜ9年前の事件をちゃんと本にしなかったのか、と前畑を問い詰めつつ彼女に協力した新米女性刑事野本にも登場願いたい。

 

  最後に題名の「楽園」について、宮部みゆきが強い思いを込めて書いた見事な文章を引用してこのレビューを終わりたい。

 

 誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、得ることのできない幸福がある。

 滋子には馴染みのない、よくできた物語にしか思えない海の向こうの宗教は、人間は原罪を抱えているのだと説く。

 (中略)それが真実ならば、人々が求める楽園は、常にあらかじめ失われているのだ。

 それでも人は 幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。(中略)この世を生きる人びとは、あるとき必ず、己の楽園を見出すのだ。たとえほんのひとときであろうとも。

 敏子と等のように。

 土井崎夫婦のように。

 誠子(茜の妹)と達夫のように。

 茜と”シゲ”のように。

 ”山荘”の主人、網川浩一でさえも、きっときっとそうだった。

 血にまみれていようと、苦難を強いるものであろうと、短く儚いものであろうと、たとえ呪われてさえいても、そこは、それを求めた者の楽園だ。

 支払った代償が 、楽園を地上に呼び戻す。

 萩谷等は、それを描いていた。あらかじめ失われたすべての楽園と、それを取り戻すために支払われるすべての代償を。(下巻p425-6)

 

 

ペテロの葬列 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

   宮部みゆきの杉村三郎シリーズ第三弾にして文庫本上下巻に渡る大作。「ペテロの葬列」という題名のうち、ペテロはレンブラントの名画「聖ペテロの否認」に描かれたイエスを裏切った弟子ペテロである。葬列とは被害者が加害者になり連綿と続く悪の連鎖のことである。ということで、一市井人杉村三郎が悪を観察し続けるシリーズ三作目は、かの豊田商事に端を発する悪徳詐欺商法の闇を描き尽している。

 

 杉村三郎が巻き込まれたバスジャック事件。実は、それが本当の謎の始まりだった――。『誰か』『名もなき毒』に続くシリーズ第三弾。 今多コンツェルン会長室直属・グループ広報室の杉村三郎は、ある日、拳銃を持った老人によるバスジャックに遭遇する。事件は3時間ほどであっけなく解決したかに見えたが、実はそれが本当の謎の始まりだった――。 事件の真の動機に隠された、日本という国、そして人間の本質に潜む闇。杉村三郎が巻き込まれる最悪の事件。息もつかせぬ緊迫感の中、物語は二転三転、そして驚愕のラストへ。2014年、小泉孝太郎主演で連続ドラマ化。 (AMAZON解説上巻)

 

杉村三郎らバスジャック事件の被害者に届いた「慰謝料」。送り主は?金の出所は?老人の正体は?謎を追う三郎が行き着いたのは、かつて膨大な被害者を生んだ、ある事件だった。待ち受けるのは読む者すべてが目を疑う驚愕の結末。人間とは、かくも不可思議なものなのか―。これぞ宮部みゆきの真骨頂。 (AMAZON解説下巻)

 

  冒頭のバスジャック事件は鮮やかな筆捌きでさすが宮部と思わせる。ただ、三作目ともなって来ると、テレビドラマのシリーズもののように、どうしてこれだけこの人(杉村三郎)ばかりが事件に遭遇するの、という感が否めない。

  そして、人質同士で妙な連帯感が生まれてしまい、AMAZON解説にある、送り付けられてきた被害者慰謝料を(いくら事情があるとはいえ)警察へ報告をしないことに決めるあたりは、さすがに無理がありすぎる。それに、いくら義父に相談済みとは言え巨大コンツェルンの総帥の娘の入り婿と言う立場をわきまえていないと思わざるを得ない(これには作者側の理由があるのだが)。

  また、人質によって慰謝料が違う理由もそう決めた送り主の判断も、今ひとつ要領を得ない。

 

  だから杉村三郎の行動もさすがに今回は暴走気味である。ここからはネタバレになる。

 

  その理由として、宮部みゆきはこの杉村三郎を延々三作も引っ張っておいて、妻菜穂子と離婚させ、巨大コンツェルンからも引き離すつもりだったのである。そのための伏線や本筋と無関係のエピソードが満載のため、長くなってしまった、と言うのが今回の作品が上下巻に渡った理由である。

 

  三作とも解説を担当されているミステリ評論家杉江松恋氏の解説は的確ではあるがほめ過ぎである。本作は作者都合が多すぎる。

 

  個人的には、バスジャックした老人が「トレイナー」であったという設定にいささか感慨深いものがあった。悪い意味でだが。

  このトレイナーとは、一時期日本で流行した合宿による新人研修セミナーの指導員、コンサルタントのことである。テレビでよく特集されていたが、限界を超えるような肉体的鍛錬をしたり、明らかに洗脳じゃないかというような頭ごなしの人格否定をしたりで文字通り「飼い慣らされた豚」に新社会人を追い込んでしまうようなものだった。幸い私の職種には無関係だったが、自分がもしこういう研修を受けさせられたら即退社するか自殺するかどちらかだな、と思った覚えがある。

  こういうセミナーを請け負う業者が悪徳商法のノウハウを受け継いだという作者の設定が本当なのかどうか私は知らないが、十分有り得ることであったのであろう。

 

 

名も無き毒 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

  続いて杉村三郎シリーズ第二弾。杉村三郎と彼を取り巻く人々、環境が「誰かーSomebody」で提示されているので、二作目はすっと作品世界に入っていける。

 

『今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田いずみは、質の悪いトラブルメーカーだった。解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。折しも街では無差別と思しき連続毒殺事件が注目を集めていた。人の心の陥穽を圧倒的な筆致で描く吉川英治文学賞受賞作。(AMAZON解説より) 』

 

  手あたり次第悪意という毒をまき散らす女、猛毒の青酸カリによる連続殺人事件、土壌汚染と言う毒、毒の三題噺と言った趣。

  この三つは巧妙に絡め、杉村三郎とその家族を窮地に追い込んでいく宮部みゆきのプロットは相変わらず巧みであるし、丁寧な文章はもう抜群の安定感である。AMAZON解説にもあるように圧倒的な筆致でもある。文学賞を受賞して当然であろう。感動もする。ただ、全編でまき散らす毒に当たり気味のせいか、その感動がイマイチ弱い、と思うのは彼女にあまりにも多くを求め過ぎか。また毒に重きを置くあまり、人物造型がやや浅い気もする。

 

  それにしても、原田いずみという女のまき散らす毒はすごい。

  特に、何の罪もない兄の結婚式の最後で場を混乱の極みに落とし込み、後に兄の妻を自殺させることにもなった、嘘で固められた壮絶なスピーチは「えぐい」の一言。読むのが辛く目を覆いたくなるほどだ。

  小説家はフィクションとは言え、ここまで書けるのかと思ってしまう。

 

  閑話休題、二作を読んでどうにも気になるのが、杉村三郎と言う人物にそれほどの魅力がないところ。連作を意識してか、わざと主人公を浅く書いているのかもしれないが。。。今回巨大コンツェルン会長の愛娘である、元々病弱な妻菜穂子心理的にもかなり痛手を蒙っているので、次作「ペテロの葬列」では家族にそれ相応の波風が立つのかもしれない。

 

 

誰か-Somebody / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

  宮部みゆき杉村三郎シリーズ第一作。2003年の作品なので、2001年の「模倣犯」とそう離れていない時期である。「理由」「模倣犯」で心身共に疲弊した宮部が再び社会派ミステリーに挑んだわけだが、さすがに「模倣犯」ほどの重さはなく、主人公を刑事でも探偵でもないごく普通の広報室の社員に設定したところからも分かるように、自転車轢き逃げ事件(それもおそらく子供の過失による)という比較的軽い事件を提示して物語は始まる。

 

『今多コンツェルン広報室の杉村三郎は、事故死した同社の運転手・梶田信夫の娘たちの相談を受ける。亡き父について本を書きたいという彼女らの思いにほだされ、一見普通な梶田の人生をたどり始めた三郎の前に、意外な情景が広がり始める―。稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした、心揺るがすミステリー。  (AMAZON解説より)

 

  そこから、被害者の過去、娘二人のうち姉の過去の恐怖の思い出、勝ち気で積極的な妹のある秘密など、いつも通りの語り口で宮部は真実を少しずつ丁寧に明らかにしていく。

  そしてその結末はほろ苦い。というか、納得できないほど杉村三郎という男にとっては理不尽である。以下漠然としたネタバレになるのでご了解いただきたい。

  懸命に探り当てた被害者の過去は娘姉妹には語るに語れないものであったし、姉妹の間にあった秘密については結局疎まれ恨まれただけで終わってしまう。巨大コンツェルンの会長である義父から頼まれた仕事自体も果たせなかった(このことに関しては義父は十分納得しているが)、これではあんまりではないか。

  顔もわからない電話越しの会話で昔被害者と秘密を共有した女性の魂を救済してあげたこと、ひき逃げ犯の中学生を自主的に出頭させるのに一役買ったことだけが救いといえば救いとなり、本作は終わる。

 

 わたしたちはみんなそうじゃないか?自分で知っているだけでは足りない。だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。

 

人情派宮部みゆきの本領発揮の一文で、題名の説明にもなっている。

 

  そして、杉村三郎のほうも、姉妹から投げかけられた毒に存外平然としている。実の母から浴びせられ続けた毒ですっかり免疫ができていたから、という説明がなされる。

 

  シリーズ化するつもりがあったのだろう、この杉村三郎の現在の境遇と家族(妻、娘)については今回詳細に語られるが、本人に関しての記載は浅い。母との確執の原因も語られないし、巨大コンツェルンの会長の妾腹の娘との結婚の詳しい経緯も語られていない。そのあたりはまた、第二弾「名もなき毒」以降で語られるのであろう。

 

 

 

フェルメール展 @ 大阪市立美術館

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今朝コンタクト眼科の診察、買い物を済ませ,その後フェルメール展に行ってきた。 alt

 

阪神高速天王寺で降りてすぐの天王寺地下駐車場に車を止める。ポルシェ・マカンの隣が空いていたのでそこに止めて記念撮影(w。

 

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地上に上がると天王寺公園。昔は路上カラオケ屋が立ち並ぶディープ大阪な雰囲気がたちこめていたが、今はオサレなてんしばというカフェなどが立ち並ぶエントランスエリアとなっている。巨大なあべのハルカスも見える。 alt

 

で、大阪市立美術館

 

vermeer.osaka.jp

 

フェルメール展

 

2000年にここが主催で催された時はものすごいブームとなり、2〜3時間待ち当たり前で私も恐ろしいカラオケ屋の前から2時間以上並んだ覚えがある。 今日も始まったばかりだしそれくらい覚悟で行ったが、なんとガラガラ。さっと入れて、絵もゆっくり観ることができた。

 

今回きたフェルメールは6点。

 

1:マルタとマリアの家のキリスト alt

(絵葉書)

 

2:取り持ち女 alt

(絵葉書)

 

3:リュート調弦する女 alt

(マグネット)

 

4:手紙を書く女 alt

(マグネット)

 

5:恋文

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(絵葉書)

 

6:手紙を書く女と召使い

 

 

このうち今回初来日したのは「取り持ち女」。
 
娼家で男が金貨を渡しながらもう胸をお触りしてる(笑。横の取り持ち婆あのなんとも下卑た顔、いやあゲスの極み乙女的で面白かった。意外とマチエールや色も素晴らしく保存状態も良好。ドレスデン国立古典絵画館所蔵。
 
 

興味深かったのは、現存する彼の作品の中で最も大きく、最初期の、唯一の宗教画と言われる「マルタとマリアの家のキリスト」。スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。

 

三人三様の表情、服の色合い、光と陰影、さすがフェルメール だけの事はある。

 

そのほかの4点はもう現物を過去に見ていますし、よく取り上げられる絵画なのでまた会えましたな、という感じ。 alt

 

テンシバにあるイタリアンレストラン青いナポリイン・ザ・パークでランチ。ランチプレートのボリュームがすごかったので満腹になったし美味しかった。

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帰宅してもまだ日は高く、洗車。ここしばらくの雨や雪でホイールやタイヤが大分汚れていたので、そこと下回りはケルヒャーで洗った。 それでもまだお腹がもたれていたので、ジムへ。プールで1200くらい泳いで帰った。 

ソロモンの偽証 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐️

  宮部みゆきが心血を注ぎ完成させた傑作「ソロモンの偽証」。1990年のクリスマスイブから1991年8月20日までのわずか8カ月間の物語であるが、それを宮部は小説新潮に2002年から2011年まであしかけ9年をかけて連載し完結させた。その量たるや、原稿用紙にしてのべ4700枚に渡る超大作である。もう名匠と呼んでいいだろう成島出監督で映画化もされ大変な反響を読んだのも記憶に新しいところ。

 

  内容はよく知られているように、中学校内裁判という、良く言えば斬新、悪く言えばトリッキーな題材である。

 

  クリスマスイブの夜に中学校校内で中学二年の不登校児が転落死した。状況に鑑みて学校も警察も自殺で処理、家族も納得していた。しかし後日同学年の札付きの不良三人組による他殺であるという怪文書が三通三か所に送られ、そのうちの一通がある偶然と悪意からマスコミに漏れ、大事件に発展する。一時沈静化したに見えたが、同じクラスの少女の交通事故死、三人組の仲間割れによる一人の大怪我と事態は急展開を見せる。しかし学校の対応は鈍い。納得いかないまま中学三年生になっていた当時のクラス委員の少女は、夏休みの卒業制作として「学校内裁判」を提案。賛同者を得、周囲の反対を押し切って裁判は開始され、思わぬ真相が明らかとなっていく。

 

  ざっと概観するとこのようなストーリーなのだが、これを宮部は三部に分け、「事件」「決意」「裁判」と起承転結を見事に整理し、数多くの登場人物を主役から脇役、端役、大人、子供、老人にいたるまできっちりとその人物像を描き切る。単純に善悪で区別しないでその心理の奥底まで掘り下げる手腕はフィクションとは言え、見事の一言に尽きる。そこに暖かい視線が感じられるところが如何にも宮部みゆきらしい。柔の宮部みゆき、剛の高村薫といったところか。

 

  敢えて言うと、巷間多くの批判があったように、中学二年でこれだけのことをやってのけられるのか、実際の事件に対して模擬とは言え陪審員制度の裁判を行う権利、資格があるのかと言う点に疑問は残る。私も違和感を禁じ得なかったし、高校二年くらいにすれば現実味を帯びてくるのに、と思わないでもなかったが、中学二年にこだわった理由を最終盤で作者は明らかにしている。

 

十四歳はそんなもんじゃないのか。みんな自意識過剰でまわりとゴリゴリぶつかって、不安定な心は優越感とコンプレックスのカクテルで、傷ついたり傷つけたり、何年かそういう時期を過ごして、満身創痍になって抜け出していくんだ。(第III部 法廷(下) p409)

 

  これは自殺した少年の兄の弟への感慨の一部であるが、 この物語に登場する中学2~3年生の誰もかれもが、学校と言うヒエラルキー社会の中でどんな立場にいようと否応なく経験している。そして「校内裁判」という厳しい試練の中で、関与したほぼすべての生徒が、それぞれの立場、個性、性格の中でもがき苦しみつつ成長していく様は感動的でさえある。

  よって宮部が中2という年齢設定をしたことに納得せざるを得ない。特に素晴らしかったのは、弱虫で目立たない、しかし心の中にどす黒い闇を秘め、父母殺害未遂まで起こした野田健一と言う少年。彼が弁護人補佐を務める中で変化していく様が素晴らしい。宮部もこの少年には特に感情移入していたようで、エピローグ「二〇一〇年、春」において彼を新人教師として同校に赴任させ、校長に懇願されて同校の伝説となっている「学校内裁判」について語り始めるところでこの長大な物語は終わる。作品の冒頭へ回帰する見事なエンディングである。

 

「何でもお話しできます」「どんなことでも」「あの裁判が終わってから、僕ら」

「- 友達になりました」

だだいま。

僕は、城東第三中学校へ帰ってきた。

もう、あの夏は遠い。(第III部 法廷(下) p466-7、抜粋)

 

   その意味では、この物語は社会派ミステリーとしてだけでなく、ビルドゥングスロマン小説としても極めて優れた小説であると読了してまず感じた。そのことをもう少し詳しく書こうかとも思ったのだが、松山巌氏が解説で詳細に書いておられた。。。「理由」のレビューでも同様のことがあったが、レビューを趣味とする者にはつらいところだが、まあ仕方がない。

 

  閑話休題、ミステリーとして読んでも勿論一流の小説である。バブル経済最終盤の1990年と言う時代を背景に、弁護士、探偵、ルポライター等々の多彩な職業の登場人物を要所要所でうまく裁き、中学生の裁判という言わば絵空事にリアリティを持たせ、緻密に物語を構築してほとんど隙を見せない。9年間よくぞこれだけの集中力を維持できたものである。「模倣犯」でも述べたが、医学的な面においてはやはり宮部は甘いと言わざるを得ない描写がちらほらするが、今回はそれが致命的な瑕疵にはなっていない。

  敢えて個人的な嗜好から苦言を呈すると、浅井松子と言う少女が何故交通事故死しなければならなかったのか、必然性に乏しいし、本当に可哀相である。ミステリーとしての構成上仕方ないのかもしれないが、その事がいつまでも心にひっかかっていた。

  また、最後の陪審員の判決の後の説明は、死亡した少年の両親が傍聴しているという事に鑑みてあまりにもむごい。作者の特徴である感情移入の強さの裏返しなのかもしれない。

 

  最後に小説・文章の技法に関して、その描写は隅々まで目が行き届いており、文体には特段の個性はないものの独特の柔らかさがあり、原稿用紙4700枚に及ぶ膨大な量の最後までグイグイ読ませる。まさに小説スクールの優等生である。

  特に物語冒頭の部分、松山巌氏も絶賛されていたが、ある街の小さな電気店の店主が店の前の電話ボックスから出てきた少年に声をかける部分は秀逸である。

  このキーパーソンとなる少年が「大丈夫です」と答えた後、一瞬の逡巡を見せる。それが心にひっかかった店主は、戦時中に疎開する自分を見送る母が見せた逡巡を思い出す。その母は急に乳飲み子が病気になったため疎開できなかったのだ。そして母子は翌日に東京大空襲で死亡してしまう。物語の展開を暗示させ、名もない電気店の老人の人生で背負ってきたものを鮮やかにさっとデッサンしてしまう。見事である。

 

  文庫本の最後に収録された「負の方程式」と言う短編は、主人公二人のいかにもな将来像がちらりと顔を見せる。宮部らしいサービス精神であるが、一方で蛇足の念を禁じ得ない。

 

もう一度 事件を調べてください クリスマス未明、一人の中学生が転落死した。柏木卓也、14歳。彼はなぜ死んだのか。殺人か、自殺か。謎の死への疑念が広がる中、“同級生の犯行"を告発する手紙が関係者に届く。さらに、過剰報道によって学校、保護者の混乱は極まり、犯人捜しが公然と始まった――。ひとつの死をきっかけに膨れ上がる人々の悪意。それに抗し、真実を求める生徒たちを描いた、現代ミステリーの最高峰。(1)(AMAZON解説)

 

もう一度、事件を調べてください。柏木君を突き落としたのは―。告発状を報じたHBSの報道番組は、厄災の箱を開いた。止まぬ疑心暗鬼。連鎖する悪意。そして、同級生がまた一人、命を落とす。拡大する事件を前に、為す術なく屈していく大人達に対し、捜査一課の刑事を父に持つ藤野涼子は、真実を知るため、ある決断を下す。それは「学校内裁判」という伝説の始まりだった。 (2)

 

あたしたちで真相をつかもうよ――。二人の同級生の死。マスコミによる偏向報道。当事者の生徒たちを差し置いて、ただ事態の収束だけを目指す大人。結局、柏井卓也はなぜ死んだのか。なにもわからないままでは、あたしたちは前に進めない。そんな藤野涼子の呼びかけで、中学三年生有志による「学校内裁判」が幕を上げる。求めるはただ一つ、柏木卓也の死の真実。 (3)

 

遂に動き出した「学校内裁判」。検事となった藤野涼子は、大出俊次の“殺人”を立証するため、関係者への聴取に奔走する。一方、弁護を担当する他校生、神原和彦は鮮やかな手腕で証言、証拠を集め、無罪獲得に向けた布石を着々と打っていく。明らかになる柏木卓也の素顔。繰り広げられる検事と弁護人の熱戦。そして、告発状を書いた少女が遂に……。夏。開廷の日は近い。 (4)

 

空想です――。弁護人・神原和彦は高らかに宣言する。大出俊次が柏木卓也を殺害した根拠は何もない、と。城東第三中学校は“問題児”というレッテルから空想を作り出し、彼をスケープゴートにしたのだ、と。対する検事・藤野涼子は事件の目撃者にして告発状の差出人、三宅樹理を証人出廷させる。あの日、クリスマスイヴの夜、屋上で何があったのか。白熱の裁判は、事件の核心に触れる。 (5)

 

ひとつの嘘があった。柏木卓也の死の真相を知る者が、どうしてもつかなければならなかった嘘。最後の証人、その偽証が明らかになるとき、裁判の風景は根底から覆される――。藤野涼子が辿りついた真実。三宅樹理の叫び。法廷が告げる真犯人。作家生活25年の集大成にして、現代ミステリーの最高峰、堂々の完結。20年後の“偽証”事件を描く、書き下ろし中編「負の方程式」を収録。 (6)

 

 

模倣犯 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎⭐︎⭐️

  宮部みゆきの本領、社会派ミステリーの傑作「理由」に続く超大作「模倣犯」である。読んでもいないし、映画も見ていないがそんな私でも大体どうい内容かは知っているほどの有名作品。こういうタイプの犯人は怖気が振るうほど大嫌いなので読んでいなかったがついに挑んでみることにした。

  読むのに辛い物語だったし、医学的記述の面で読者に誤解を与えたという点は許容しがたいがそれをあらかじめ分かった上でなら、この文庫本で5巻ある長大な小説は読む価値が十二分にある。宮部みゆき渾身の力作である。

 

文庫版第一巻:

墨田区・大川公園で若い女性の右腕とハンドバッグが発見された。やがてバッグの持主は、三ヵ月前に失踪した古川鞠子と判明するが、「犯人」は「右腕は鞠子のものじゃない」という電話をテレビ局にかけたうえ、鞠子の祖父・有馬義男にも接触をはかった。ほどなく鞠子は白骨死体となって見つかった――。未曾有の連続誘拐殺人事件を重層的に描いた現代ミステリの金字塔、いよいよ開幕! (1)(AMAZON解説より)

 

  快調な出だしである。見えぬ犯人、被害者家族、警察、ルポライターを中心に同心円を描くようにその周囲、過去に関わる人物まで、多くの登場人物を手際よくさばいていく宮部の手腕は健在、というか絶頂期なのではないかと思わせる。長大な構想なので焦らずじっくりと筆を進めているのも好ましい。

 

  一点瑕疵を挙げるとすれば、私の専門分野である医学的記述にがっかり

  ある女性がショックのあまり精神に異常をきたし道路に飛び出しトラックにはねられる。倒れて意識がなく耳から血を流している。脳外科の基本中の基本的知識として明らかに頭蓋底骨折を起している。にもかかわらず「強度の脳震盪」だけとは笑ってしまう。おまけに「脳波は正常だが意識がない」。どういう意味なんだかこちらが教えてほしい。大体電気ノイズだらけのICUで微弱な電気活動である脳波のモニターはほとんど不可能で普通はやらない。CTがすぐ撮れる時代にわざわざ脳波をモニターする意味は殆どない。あるとすれば脳死判定の時だけだ。

 

  実はここだけではない。あとがきで某精神科医に謝辞を呈しているが、その精神疾患の記述も含めて、全巻に渡って宮部みゆきの医学的考証は甘いし明らかな間違いもある。あちこちに書き散らすのも無礼なのでここで一点だけ致命的だと思うところを書いておく。主要登場人物である高井和明の目の病気(病名は書いていない)について、第四巻にこういう記述がある。

 

要するにこの視覚障害は、目の機能ではなく脳の問題なのだ。左目がまったく”ものを認識していない”状態であるということは、イコール左目を司る右脳の機能の一部が休んでいるわけだ。(文庫版第四巻P192)

 

  神経解剖のイロハのイの時点で間違っている。医学生向けの簡単な解剖学の本さえ読んでいないのではないか?でなければこんな頓珍漢な文章は書けるはずがない。左目の網膜から出た視神経は視交叉と言う場所で半分ずつ左右の脳に別れて脳内を走行し後頭葉の視覚中枢に終わる。右目も同様。よってたとえもし左目が全盲であっても両側脳とも右目からの情報は受け取っている。

  主要登場人物の高井和明がこの病気であることを本人も周囲の者もまったく気づかず幼少期を過ごしたため、愚鈍な人間とみなされそれが人格形成や犯人を含む友人関係に影響したという設定となっている。その根本のところでこんな記述をしていては物語の土台が脆弱だと言わざるを得ない。

 

  この件についてはさらに許しがたいおまけがついていた。宮部みゆきは文庫版あとがきにこう記している。

 

  二〇〇一年に単行本を上梓した当時、少なからぬ読者の皆様から、登場人物の一人「高井和明」の視覚障害についてお尋ねを頂きました。ご自身が、あるいは身近な方が同じ症状に悩んでいるので、もっと詳しいことを教えてほしいという内容のものでした。

  本書はフィクションであり、高井和明の患っている視覚障害の症状も、そのフィクションの内にあります。どうぞ、作中の描写を、現実の切実な健康問題の自己診断基準にされることのございませんよう、お願いいたします。

 

 

  SFやファンタジーならまだしも、これだけリアルな社会派ミステリーで書けば、医学の専門家でなければ容易に信じてしまうだろう。何を今さら、という時期にこんなことを書くのは許しがたい。どうせ書くなら遅くとも初版出版時だろう。

 

  宮部みゆきがこういう点でこれほど自分に甘いとは思わなかった。その点、高村薫女史は基本的な医学的記述のところで決して手を抜かない。専門家がその分野の文章を読んでおかしいと思われてしまえば、それは全体の信用性が失われる、という事を熟知されているからこその完全主義なのだ。

 

   一方で宮部みゆきの場合それを補っているのが、なめらかで破綻をきたさない語り口。高村女史の孤高で峻厳、時には読者をも突き放すような厳しい語り口とは対照的で、そりゃどちらが人気が出るのかは言うまでもない。それだけにこういうことに関してはより慎重になってほしかった。

 

  まあこの件はこれくらいにしておこう。さて物語は電話の向こうから被害者家族を散々いたぶり、マスコミを翻弄する犯人が実は複数犯ではないかという疑問が芽生え始めた頃、あまりにも突然に若い男性二人が交通事故死する。トランクには男の死体があった。この二人が今回の犯人だと推定して第一巻は終わる。

 

文庫版第二巻: 

鞠子の遺体が発見されたのは、「犯人」がHBSテレビに通報したからだった。自らの犯行を誇るような異常な手口に、日本国中は騒然とする。墨東署では合同特捜本部を設置し、前科者リストを洗っていた。一方、ルポライターの前畑滋子は、右腕の第一発見者であり、家族を惨殺された過去を負う高校生・塚田真一を追い掛けはじめた――。事件は周囲の者たちを巻込みながら暗転していく。(2)

 

  五巻の中では比較的短いが、読むのが嫌になるほど鬱陶しい巻である。第一巻で描かれた悪意に溢れる劇場型犯罪を、いよいよ「真」犯人である二人の男、ピース栗橋浩美(ヒロミ)の側から描き始める。この犯罪を始めたあまりにも身勝手で恐ろしい動機、目を覆いたくなる言動の数々。

  二人の性根が腐っているのは第一巻で想像がつくが、その人格形成過程が延々と語るのであるから、こういうのが苦手の私には読むのが辛い。特に町の薬屋の息子、栗橋浩美(ヒロミ)についてはその生い立ち、犯罪の切っ掛けとなる強迫観念を含め詳細に語られる。その同級生でパシリに使う上述した蕎麦屋の息子の高井和明(カズ)の家族についても語られる。第一巻の最後で死んだ二人がピースとヒロミではなく、このカズとヒロミであることもつらい。

  そしてこの劇場型犯罪をマスコミを通して見ている我々一般人の心理も遠慮なくえぐり出す。

  なおかつ、この一巻ではまだ二人が事故死するところまでいかない。

  ノンフィクションなら読む価値もあるし読まねばならないのだろうが、フィクションでまで読みたくはない。まあ、そいう人間をつくる宮部の精神的負担も理解できるし実力は認めざるを得ないが。

 

文庫版第三巻: 

 

群馬県の山道から練馬ナンバーの車が転落炎上。二人の若い男が死亡し、トランクから変死体が見つかった。死亡したのは、栗橋浩美と高井和明。二人は幼なじみだった。この若者たちが真犯人なのか、全国の注目が集まった。家宅捜索の結果、栗橋の部屋から右腕の欠けた遺骨が発見され、臨時ニュースは「容疑者判明」を伝えた――。だが、本当に「犯人」はこの二人で、事件は終結したのだろうか? (3)

 

  第三巻に入り、冒頭では視点が犯人側から一旦離れる。ヒロミのパシリ、蕎麦屋高井和明の一家、特に妹由美子の視点で事件は再び語られ始める。由美子は不審なカズを追いかけて見失い、第一巻で出てきたある少女と知り合う。この少女、大変な問題児なのだが、とりあえずは二人は別れ章を閉じる。おそらく次巻以降の伏線になるのだろう。

  それ以後は再びピースヒロミの犯罪の続きが描かれるが実は20人以上の女性を既に殺害していたことが判明する。そのやり方も「純粋な悪」そのもの。そして、第一巻の最後の交通事故の悲劇へ向かって後半は一気に物語が加速する。ヒロミを更生させたい一心のタカが如何にして巻き込まれヒロミと一緒に死んだのかが描かれる。無惨、の一言である。そしてタカを殺人犯に仕立てるプランに少し綻びが出てきていたことに焦っていたピースは、おそらくこれを奇貨として次巻以降では更に悪辣なことをやってのけるのだろう。

 

文庫版第四・五巻: 

  あと二巻は読んでのお楽しみという事にしておく。どうしてもある程度の内容を知りたい方は、下記AMAZON紹介を参考にされたい。

 

  とにかく圧倒的な構成力で怒涛の展開に持ち込む作者の力量には感服するほかない。犯人と目され死んでしまったカズの無実を訴え世間から白眼視される妹由美子ホワイトナイトとして再び姿を現すピースこと網川浩一を中心として、それまで登場させた様々な立場の登場人物を誰一人として捨て駒にすることなく有機的に関連付けて物語を構築していく様は圧巻。

  そして読者が何故ピースが題名の「模倣犯」なのか理解できずに進んでいく中、最終局面でそれを明らかにするシーンも印象的。この時代、まだネットではなくテレビという媒体がメインであったのだな、と言う若干の時代の違いを感じさせるところはあるし、網川のボロの出し方もこれまでのストーリー展開に比すると甘すぎるんじゃないかとも思う。

  それでもこの長大な物語を読み、人間とは、家族とは、大衆とは、そしてなぜ人は犯罪を犯すのか、を学ぶ価値はある。読むのに辛い物語ではあるが、医学的な瑕疵を除けば宮部みゆきの代表作という評価は十分首肯できるものであった。

 

特捜本部は栗橋・高井を犯人と認める記者会見を開き、前畑滋子は事件のルポを雑誌に連載しはじめた。今や最大の焦点は、二人が女性たちを拉致監禁し殺害したアジトの発見にあった。そんな折、高井の妹・由美子は滋子に会って、「兄さんは無実です」と訴えた。さらに、二人の同級生・網川浩一がマスコミに登場、由美子の後見人として注目を集めた――。終結したはずの事件が、再び動き出す。 (4)

 

真犯人Xは生きている――。網川は、高井は栗橋の共犯者ではなく、むしろ巻き込まれた被害者だと主張して、「栗橋主犯・高井従犯」説に拠る滋子に反論し、一躍マスコミの寵児となった。由美子はそんな網川に精神的に依存し、兄の無実を信じ共闘していたが、その希望が潰えた時、身を投げた――。真犯人は一体誰なのか? あらゆる邪悪な欲望を映し出した犯罪劇、深い余韻を残して遂に閉幕! (5)

 

すべての見えない光 / アンソニー・ドーア、藤井光訳

 

⭐️⭐️⭐️

  このブログも300記事目。そこで、このブログで最初に紹介したアンソニー・ドーアの「All The Light We Cannnot See」の邦訳をレビューしてみよう。

 

 

So really, children, methematically, all of light is invisible.
数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(p367)

 

 

『孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド―。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描き出す。ピュリツァー賞受賞の感動巨篇。ピュリツァー賞受賞(小説部門)、カーネギー・メダル・フォー・エクセレンス受賞(小説部門)、オーストラリア国際書籍賞受賞、全米図書賞最終候補作。 (AMAZON解説より)』

 

  長編2作、短編集2作だけ(2018年末現在)で、もうアメリカを代表する作家になってしまったアンソニー・ドーア。彼がピュリッツァー賞を受賞した「All The Light We Cannnot See」の邦訳。訳者は「シェル・コレクター」「モリー・ウォール」の故岩本正惠さんから交代して新進気鋭の若手翻訳家藤井光氏。氏はこの作品で第三回翻訳大賞を受賞された。

 

  盲目のフランス人少女と孤児のドイツ人少年を中心として第二次大戦における独仏双方の悲劇を描いた大作で、この小説のレビューを初めて見たのがブクレコで3年前、レビュアーはK氏で結構厳しい評価だった。

  端的に言うと

 

  長くて平板で退屈で飽きる

 

  確かにこの小説の文体は独特で、極力感情表現を抑えた簡潔な現在形叙事文を連ねて小節とし、それを連ねること、なんと

 

  178小節14章

 

に及ぶ。確かに長くて平板である。で、今は無きブクレコでコメントのやり取りをして、まず原書を読み、そのうち邦訳を読みますと約束した(気がする)のだが、後者を放置すること3年、先日ぷるーとさんのレビューを見て思い出し、ようやく手に取った。

  本自体の第一印象は

 

   分厚い・デカい!こんなに長い小説だったのか!(写真参照)

 

  そりゃKindleでは実感できないだろうと思われる向きもあるかもしれないが、例えば彼の処女作の「About Grace」は相当長く感じた。それに比べると本作はサクサク読めてそんなに長いとは感じなかったのだが。まあとにかくこれだけ分厚くて大きな本を読むのは久しぶり。

 

  一読、う~ん、確かに

 

  長くて平板

 

  K氏が感じておられたのはこういうことだったのだなあ、とようやく理解することができた。

  勿論、藤井光氏は殆ど直訳・逐語訳と言ってよいほど丁寧にドーア独特の文章を訳されており、そのご努力には頭が下がる。しかしその結果として文章が固かったり、少々分かりにくい日本文となっていたりするところがままある。例えばこんな感じ。

 

She touches a round white button on her uniform with what might be an inconvenienly trembling finger.
彼女は制服の白く円いボタンを、具合の悪いことに震えているかもしれない指で触れる。(p261)

 

英語では何ということもなくすっと流していけるのだが、それをきっちりと日本語に置き換えてしまうとこんなまわりくどい文章になってしまう。日英の文法の違い上仕方ないことではあるのだが、こういう風に流れを止めてしまうような文章が方々に散在していると、長く感じてしまうのもむべなるかなと思う。

  それに加えて感情表現の少ない叙事的な文章が連なることも相まって、原文で感じたよりも乾燥した素っ気ない文章となってしまっている印象が拭えない。

  だから美しく切ない物語なのに、感情移入するのに時間がかかり、また後日談が長いだけに飽きると言われればそれまで。

 

  以上。。。では面白くないので、ツッコミをば何ヶ所か。

 

#1:炎の海ってどうよ!  なんといっても、この作品の鍵となる巨大な伝説のダイアモンドの名前。青い石の中心にかすかに紅い色合いがあり「滴の内側に炎があるよう」でついた名前が「Sea of Flames」。確かに直訳すれば「炎の海」となるだろう。しかし日本語で炎の海って言ったら「あたり一面火事だ~」って意味ではないのか!?もうちょっとしゃれた名前をつけてほしかった。

 

#2:おしっこ漏れそうなのか大丈夫なのか?尿意はさして我慢できそうにない。」(p216)

  さして、がちょっとおかしい。さしてなら、そう大したことないと受けるのが普通、一体我慢できるのかできないのか、どっちだ?

 

原文:Her bladder will not hold much longer.

 

彼女の膀胱は(おしっこでパンパンで)もう持ちこたえられそうにない、だな。

 

#3:美しい文章なのに詰めが甘い!

外のどこかでは、ドイツ軍のUボートが水中の峡谷の上を音もなく動いていく。十メートル近いイカが、冷たい暗闇の中で、巨大な目とともに進んでいく。」(p194)

  マリー=ロールと父の最後の夜を描いた切ない章の、美しい文章。藤井氏の訳にも力が入っている!なのに「イカが巨大な目とともに進んでいく」ってどうよ。

 

原文:Somehwere out there, German U-boats glide above underwater canyons, and thirty-foot squid ferry their huge eyes through the cold dark.

直訳すればそうなのかもしれないけど、ここはやはり、深海の暗闇の中でダイオウイカの目だけが移動していくのが見える、って感じを強調すべきじゃないのか。

 

#4:ワインが眠たげになるのか?ヴェルナーの胃のなかでワインが眠たげに温かくなり」(p225)

  孤児院で貧しい生活しかしたことのないヴェルナーが、招かれて訪れたベルリンの富裕層の同級生宅で初めて味わう豪華な食べ物とワイン。これも印象的な場面だが「ワインが眠たげに」ってどうよ。

 

原文:Wine glows sleepily in Werner's stomach -

うん、これも直訳で正しいと言えば正しい。でもそこはやはり「(ヴェルナーは)ワインのせいで胃がポカポカして眠くなる」だろう。

 

#5:苦労は分かるが伝わってこないぞ!どういうことか理解したかったら、エティエンヌの家のなかを見るといい。家のなかのね。」(p293)

  収容所にいる父がマリー=ロール(もちろん読むのは大叔父エティエンヌ)に宛てた手紙。ものすごく大切な秘密が書いてあるのだが、当然厳しい検閲の目を逃れるため、わかる者にしかわからないように書いてある。ちなみにマリー=ロールもエティエンヌもこの時点で分かっていない。

  だから藤井氏もこの部分の訳は悩みに悩まれたと思うのだが、結局なんか変な文章になってしまっている。残念。

 

原文:If you ever wish to understand, look inside Etienne's house, inside the house.

この原文を読めば、父が娘に伝えたかった秘事は、ここまで読んできた読者にはハッキリ分かるはず。  


  と、いろいろとイチャモンをつけてはきたが、この大作に真摯に取り組まれた藤井氏のご努力には敬意を表したい。

  とにもかくにもマリー=ロールの父が組み立てた精巧な街模型のように、178のピースを用いてドーアが組み立てた第二次大戦中の独仏の架空世界は、目を見張るほど見事な出来栄え。多くの方に読んでいただきたいし、気に入ればできれば原書で味わっていただきたい。(英語以外に独仏露語が所々に挿入されているので、Kindleで読むのが良いと思う)