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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

悟浄出立 / 万城目学

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  マキメーこと万城目学の未読作が文庫本になっていたので読んでみた。中国の有名な古典や歴史に題材をとった5編の短編集。意外や意外、真面目な作品ばかりで驚いた。中島敦にインスパイアされて書いたという説明に納得。マキメー独特のユーモアは封印されているが、彼の新境地かもしれない。

 

悟浄出立: もちろん「西遊記」から。マキメー自身の解説によると、中島敦の「悟浄出世」「悟浄歎異」にインスパイアされ、早逝した彼の代わりの続編を書こうと思い立った、というのが執筆の切っ掛け。

  内容は悟浄自身の物語ではなく、彼から見た猪八戒についての洞察。天界で知らぬもののない名将天蓬元帥だった彼が、何故かくもだらしない豚男になってしまっているのか?

 

戦いとは何と馬鹿馬鹿しいものか、と。たかが過程ー相手の大将の精神を撃つ過程のためだけにこんなに大勢が集まって、武器を揃え、いかめしい甲冑を纏い、ひたすら殺し合う。無駄の極致さ。

 

趙雲西航: 「三国志」または「三国志演義」から。酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」でも感じたが、蜀のために最も長く尽くし功績があった将は実は趙雲だったと思う。梨園の三兄弟(劉備関羽張飛)の絆の強さに幾何かの疎外感もあっただろうし、突然三顧の礼で迎えられた訳の分からない男諸葛孔明に胡散臭さも感じていただろう。そんな趙雲が、いよいよ蜀を攻め落とすための西航途上にある。そんな一瞬を切り取ったうまい作品。ここでも孔明は何もかもマルっとスルっと御見通しである。

 

虞妃寂静: 「四面楚歌」の場面。「虞や虞や汝を奈何せん

 

法家孤憤: 「史記」より、秦の始皇帝暗殺を目論んで失敗し殺された荊軻(けいか)の段を、発音が同じであったが故に不思議な因縁を持つ官吏、京科(けいか)の目を通して描いている。

 

司馬遷: ここで再び中島敦に回帰する。「李陵」である。匈奴に捕えられた李陵を一人弁護したが故に罪に問われ、宮刑という恥を甘んじて受けて死刑を免れた司馬遷。彼の家族の受難を末娘「榮(えい)」を主人公として描き、最後には榮が父司馬遷を再び歴史編纂に向かわせる。そして中国史上でも稀有な傑作「史記」が完成する。感動の一篇である。

 

  ちなみに私が好きな司馬遼太郎先生のペンネームは「司馬遷に遼か及ばない」という意味である。

 

 

朝日のようにさわやかに / 恩田陸

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    やってしまった。超多作の恩田陸さんなので、重複買いには十分気をつけていたかいこが、初めての二度買い。目次の一作目の題名を見て愕然。「水晶の夜翡翠の朝」。。。そう、理瀬シリーズのヨハン君の話じゃないか。

 

  まあせっかく買ったんだし読んでみるか、と読み進めると、ネタが割れていても意外と面白い。短編だと陸さん大風呂敷も広げられず、畳み忘れもないし。

 

  推理系にせよ、幻想系にせよ、ホラー系にせよ、ブラックユーモア系にせよ、きっちりと物語は終わる。なかなか良い出来である。「おはなしのつづき」なんて、最初は落語の「ももたろう」的な笑い話かと思いきや、最後には泣かせてくれるのだ。どうした、恩田陸(笑。(すっかり忘れていたが、ブクレコでおんなじこと書いていた、下記参照)

 

  AMAZONのレビューに「福袋のよう」というのがあって笑えた。言い得て妙。

 

  そんな中で不思議な雰囲気の「邂逅について」だけは異色。中井英夫へのオマージュだそうだ。彼の代表作「虚無への供物」への大長編オマージュ「鈍色幻視行」を連載中、と文庫版あとがきに書いてあるが、これまた陸さんらしく、まだ完結していないようだ。

 

 

『葬式帰りの中年男女四人が、居酒屋で何やら話し込んでいる。彼らは高校時代、文芸部のメンバーだった。同じ文芸部員が亡くなり、四人宛てに彼の小説原稿が遺されたからだ。しかしなぜ……(「楽園を追われて」)。ある共通イメージが連鎖して、意識の底に眠る謎めいた記憶を呼び覚ます奇妙な味わいの表題作など全14編。ジャンルを超越した色とりどりの物語世界を堪能できる秀逸な短編集。(AMAZON解説)

 

追記; ブクレコのレビュ―探したらあった。下記に追加記載しておく。

 

    恩田陸の短編集。いろんな雑誌に掲載された短編を14作品も収録してありますので、しっかりとした構成のものからショートショート程度のものまで内容は雑多です。

 で、お目当ては「麦の海に沈む果実」のスピンオフ作品、「水晶の夜、翡翠の朝」ただ一つ。これで「理瀬シリーズ」は(未完作品を除いて)すべて読みました。

 青い丘の学園の雰囲気をもう一度感じられたのは嬉しかったですが、やはり短編なので登場人物が少なく「犯人」は容易に推定できてしまうので内容は今一つ。留学生のJやJが、サトーハチローの詩にそんなに詳しいわけないだろ、てなツッコミも入ったりして。

 まあ理瀬シリーズのスピンオフという一点に読む価値のある作品です。

 以下13作品は、このシリーズとは全く関係ありません。で、「水晶の夜、翡翠の朝」を☆三つと規定して点数をつけ、簡単な紹介をしておきます。

 

「水晶の夜、翡翠の朝」 ☆☆☆

「ご案内」 ☆☆ ショートショートブラック

「あなたと夜と音楽と」 ☆☆☆ 会話と推理とジャズスタンダードと

「冷凍みかん」 ☆☆ 珍しくSF系ミステリ

「赤い毬」 ☆☆☆☆ お得意の幻想系、やっぱりイイネ

「深夜の食欲」 ☆☆ ホラー系ショート

「いいわけ」 ☆☆ ショートショートブラック、おまえはブッシュか!

「一千一秒殺人事件」 ☆☆☆ 和風ホラー、足穂系

「おはなしのつづき」 ☆☆☆ 落語の「桃太郎」系かと思いきや、一転感動児童文学系に早変わり

「邂逅について」 ☆☆☆☆ 文学少女系、恩田陸の詩はやはりいい

「淋しいお城」 ☆☆☆☆ 恩田陸風「本当は怖い童話」系、出色の出来

「楽園を追われて」 ☆☆☆ ミニ「黒と茶の幻想」的な普通の話

「卒業」 ☆☆ 一切状況説明のないスプラッター・ホラー

「朝日のようにさわやかに」 ☆☆ 恩田陸の好きなジャズを題材にした半エッセイ風ミステリ、内容よりジャズ。「まじめすぎて面白くない」ととかく評判の悪いW.Mはやっぱりすごい人なんだあ、と再認識。

 

 以上平均は☆2.6となりました。やっぱり恩田陸は長編ですね。で、あとがき見たら、恩田陸が詳しく解説しててびっくり、というオチがついておりました。

訪問者 / 萩尾望都

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  「トーマの心臓」の重要登場人物、オスカー・ライザーを主人公としたスピンオフ作品。

  彼の出生の秘密は「トーマの心臓」でほぼ明らかとなっている。すなわち、彼を育てたグスタフ・ライザーは実父ではなく、彼の旧友であるシュロッターベッツ校長ルドルフ・ミュラーが実の父であること、それが故の諍いでグスタフが母ヘレーネ(ヘラ)を射殺したであろうこと。この事実をオスカーは認識しているばかりでなく、何年も迎えに来ない彼は南米で死んだのだろうと思っている。(とさえ語れるほどに成長している。)

 

  その義父グスタフと共に放浪し、ルドルフに彼を託してグスタフが南米に旅立つまでの一年間を萩尾望都先生が描き尽した感動のスピンオフ作品がこの「訪問者」である。

  プチフラワー創刊で100Pの作品を依頼され、「トーマの心臓」に組み込めず、長い間放置していたままだったオスカー・ライザーのエピソードを描くことにされたそうだ。そして、そのインスピレーションを与えてくれたのは、松本清張原作、野村芳太郎監督の「砂の器」だった。

 

旅。そうだー、お母さんをぶち殺した父親と一緒に、オスカーも一年、旅をしたんだわ。春の霞、霧の夏、あっという間に過ぎる秋、長い冬、映画の父親は、当時の不治の病で、村々を遍路して歩くのだけれど、グスタフさんは、自分の良心に追われて逃げ続けるんだわー ( あとがき ”訪問者”前後 より)

 

というわけで、自分が実の子でないと知りつつ育てるグスタフと、プライドの高い母ヘラは不仲で、オスカーが生まれた後、父は当てつけのように猟犬(シュミット)を飼い始める。猟についてきたオスカーにグスタフが語る、雪の中を歩いてくる神様の話がこの物語の鍵となる。

 

あるとき・・・・・・

雪の上に足跡を残して神様がきた

そして森の動物をたくさん殺している 狩人に会った

 

「お前の家は?」と神様は言った

「あそこです」と狩人は答えた

 

「ではそこへ行こう」

裁きをおこなうために

 

神様が家にゆくと家の中にみどり子が眠っていた・・・・・・

 

それで神さまは裁くのをやめて来た道を帰っていった

 

ごらん・・・・・・雪の上に足跡を探せるかい? オスカー

 

 

冬ごとにオスカーは雪の上に足跡を探した。オスカーは父のためのみどり子になりたかった。しかし、長い旅の最後に、グスタフにとって神は自分の顔をしていたのだろうとオスカーは悟る。そしてシュロッターベッツのおそらくは実の父であるルドルフ・ミュラー校長に預けられたオスカーは気丈に振舞うが、ユリスモールに慰められながら最後に涙を流す。

 

―ぼくはいつもー

たいせつなものになりたかった

彼の家の中に住む許される子どもになりたかった

 

ーほんとうに

 

ー家の中の子どもになりたかったのだー

 

 

『オスカーの出生にまつわる秘密……。それが父母の愛を破局に導き、思いがけない悲劇を呼び寄せた。母を亡くしたオスカーと父グスタフのあてどもない旅が始まる。名作「トーマの心臓」番外篇表題作ほか、戦時下のパリで世界の汚れを背負った少年の聖なる怪物性を描いた「エッグ・スタンド」、翼ある天使への進化を夢想する「天使の擬態」など、問題作3篇を収録。 (AMAZON解説より)』

 

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(昭和56年4月15日初版、A5ハードカバー版)

砂浜に坐り込んだ船 / 池澤夏樹

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    久々の池澤夏樹。久しぶりに何かナッキーの本を読みたいなあ、と思っていたところへのタイミング良きFBフレンドのお勧め、ありがたし。彼女ほどのレビューは書けないが、思うところを少し。

 

 この作品は短編集だが、表題作をはじめとして、前半は3.11東日本大震災を強く意識している。その意味では主題作は「双頭の船」と繋がりを持つ作品である。冒頭の献辞も、おそらく大震災で亡くなった方へ捧げられている。

 

「砂浜に坐り込んだ船」: 座礁した船を見に行き、撮った写真をTVでスライドショーにして見ている主人公。後ろに誰かいる。亡き友が呼び寄せられたのだ。

  舞台は石狩で、実際にあった難破事件を題材にはしているが、3.11の津波で陸に置き去りにされた船を重ね合わせているのは自明の理。

 

  その一方でカズオ・イシグロの「Never Let Me Go」の第三部のワンシーンも思い出す。主人公の介護人キャシーBが、提供者となり衰弱した親友ルースと、彼女と複雑な三角関係だった同じく提供者トミーとともに砂浜に打ち上げられた船を見に行く場面だ。映画でもとても効果的な映像が撮られていた。

 

  かたや死んでいったものへの鎮魂、かたや死に行くものへの束の間の慰撫。

 

  陸に上がった船というのはなかなか象徴的な絵であることは確かだが、3.11の時、内心少しは楽しまなかっただろうか?そして何度も何度もあの映像を見せられて我々は倦まなかっただろうか?

 

  続く「大聖堂」「美しい祖母への聖書」「苦麻の村」はもっと直截に3.11そのものを主題として扱っている。ルポかと思うほどに。

  そしてそれが文学として優れているか、と言われると言葉に窮する。ここまでの四作、彼ってこんなに単純な文章と文体だったっけ、と訝るほど、その文章はよく言えばシンプル、悪く言えば平凡だ。

 

  上記の疑問や自身の阪神淡路大震災の体験から、私は大震災のルポや小説、映画を見せられることを好まない。だからナッキーの強い思いと行動力は高く評価しているが、心のどこかでこの類の文章を拒絶しているのかもしれない。

 

  続いて幻想系、というか不思議系が続く。「上と下に腕を伸ばして鉛直に連なった猿たち」は三途の川の向こうの話、「夢の中の、夢の中の、」 は「今昔物語」に題材をとったナッキー流「夢十夜」、「イスファハーンの魔神」はナッキー流魔法のランプ。小品ながら、ナッキーらしさを感じさせる。ちょっと良い話過ぎるところもあるが。

 

  「監獄のバラード」は、派手な題名に反して、静かな祈りの作品だ。いささか身勝手な祈りではあるが。

  出身地である、傑作「静かな大地」で描き切った北海道が舞台。その豪雪の中、ある共同墓地に向かう主人公の目的とは?

  「監獄のバラード」は同性愛疑惑で監獄に入れられたオスカー・ワイルドの詩であることが後半で語られる。なるほど、上手い。

 

  最後の「マウント・ボラダイルへの飛翔」はコスモポリタンナッキーの独り言のような語りで終始する。ブルース・チャトウィンへのオマージュとも言えるのだろう。知識のないものにとってはあまり意味をなさないような一篇で終わるところがなんとも。。。まあ賛否両論あるだろうけれど、これが池澤夏樹流なのだろう。

 

 

『石狩湾で坐礁した、五千トンの貨物船。忽然と砂浜に現れた非日常的な巨体に魅せられ、夜、独り大型テレビでその姿を眺めていると、「彼」の声がした。友情と鎮魂を描く表題作と、県外の避難先から消えた被災者の静かな怒りを見つめる「苦麻の村」、津波がさらった形見の品を想像力のなかに探る「美しい祖母の聖書」ほか、悲しみを乗り越える人々を時に温かく時にマジカルに包み込む全9編。(AMAZON解説より)』  

トーマの心臓 / 萩尾望都

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  萩尾望都先生の「ポーの一族」と並ぶ初期の代表作の一つ。当時は憧れでしかなかった欧州のギムナジウム、禁断の少年愛の世界、巧妙なプロット、繊細な画風、後の少女漫画に与えた影響は計り知れない。

 

  この時期の少年愛漫画の双璧をなすもう一つの傑作が竹宮惠子先生の「風と木の詩」だった。いずれも伝説の「大泉サロン」から生まれたもので、その少年愛思想を牽引したのはサロンの主宰者増山法恵女史で、二人を欧州旅行にも連れて行って教育したのも彼女だという。

 

  それがこの「トーマの心臓」と「風と木の詩」に結実するわけだが、竹宮先生ご自身が「少年の名はジルベール」で認めている通り、当時の実力は萩尾先生が断然リードしていた。マンガを描く技術の高さ、話の作り方、新しい演出方法、斬新な表現、すべてに嫉妬を覚えて苦しんだという。

 

  そんな萩尾先生の、押しも押されもせぬ、有無を言わせぬ、エヴァーグリーンな、天才のなせる業としか言いようのない「トーマの心臓」であるが、初回連載は人気投票最下位だった。打ち切りをにおわせる編集長をうまくごまかして連載を引っ張っているうちに「ポーの一族」で脚光を浴びたことにより、この作品の人気にも火が付き、無事完結した。

 

  「十一月のギムナジウム」が雛型であると思われているが、実はそれ以前から発表の意図なくぼちぼちと描き始められていた、と本書の解説にはある。やはりトーマ・ヴェルナーは物語の始まりで死ななければいけなかったのだ。ユーリ(ユリスモール・バイハン)の再生を促すために。

 

  そしてこの物語は決して少年愛だけがテーマではない。ユーリの苦しむ神への裏切り(キリスト教哲学)、オスカー・ライザーエーリク・フリューリンクの心の内にある義父(オスカー)や母(エーリク)への複雑な感情等々。

  これらすべてを漫画の中に無理なく盛り込み、なおかつ複雑な少年愛相関図を完成させたこの作品は、何十年の歳月を経て再読してもやはり感動的である。そしてその圧倒的な詩的表現力、そして描画の美的感覚において、再び圧倒された。

 

  個人的にはオスカー・ライザーがシュロッターベッツに入学するまでの一年間の放浪を描いた「訪問者」も忘れがたいが、やはり本作は別格である。

 

 

『冬の終わりのその朝、1人の少年が死んだ。トーマ・ヴェルナー。そして、ユーリに残された1通の手紙。「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音」。信仰の暗い淵でもがくユーリ、父とユーリへの想いを秘めるオスカー、トーマに生き写しの転入生エーリク……。透明な季節を過ごすギムナジウムの少年たちに投げかけられた愛と試練と恩籠。今もなお光彩を放ち続ける萩尾望都初期の大傑作。 (AMAZON解説より)』

きまぐれ博物誌 / 星新一

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  星新一さんの代表的なエッセイ。奥付きを見ると、昭和51年とある。なんでそんな古い本を、それもエッセイを、今まで持っていたのか不思議な気もする。これも何かの縁だろうと再読してみた。

 

  温故知新というと大げさすぎるかもしれないが、彼がその頃観察していた「現在」と「考えていた未来」が懐かしくも面白くて微笑ましい。AMAZONの解説(下記)にもあるが、「公害・十年後の東京という、星流ショートショートと言っても過言でない長めのエッセイの洞察の深さにも感心させられた。

 

  40年経っても変わらないものには自然科学関係の知識や人間観察がある。「思考の麻痺」にある地球の移動速度、

 

ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。(中略)速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。

 

なんてエスプリに満ちた年賀状の文言はこれからも何億年単位では変わらないだろうし、父の苦闘を回顧しての「官吏学」での

 

官吏への文句をあげれば、きりがない。不親切である。能率が悪い、責任逃れ、心からの謝罪をしない、恩着せがましい、などかずかずある。

 

という一節は最近のニュースを読んでの感想だと言われても違和感はない。

 

  一方でハードウェアの方はさすがに古い。この頃にもうハードウェアとソフトウェアという単語ができていたこと自体は驚きだが、コンピューターに関しての記述をよむと40年という歳月を感じざるを得ない。

 

  「一日コンピューターマン」というエッセイでは読売新聞社の電子計算機室を訪れてレポートされている。恐ろしく大掛かりな施設で配線だらけである。当時は「電算機」とも呼ばれていた。記録媒体は磁気テープだった。プログラミングはパンチャーが紙にパンチを入れて作っていて、フェイルセーフとして二人が同時に同じプログラミングをしていた。

 

  こんなレベルで人類は月へ行ったのである。大したもんだ。それに私の大好きなロック音楽の分野では、今レベルのシンセサイザーなどあろうはずもないが、メロトロンは大活躍していた。ビートルズはもうとっくに解散していたが、プログレッシブ・ロックグラム・ロックなど、今でも一番好きな音楽はこの頃に作られていたのである。

 

  そして忘れていたことがあった。彼が読み尽くし、自分の文体のお手本にしたのは杉村楚人冠という元朝日新聞記者の方の文章だったのだ。

 

 むずかしい文章は決して使わないが、それでいて自己の感想をすっかり読者に送りこむ。絶妙としかいいようがない。(「読書遍歴」)

 

 

  この人の本を読もうと思っていてまだ果たしていない。AMAZONで見ると当然ながらほぼ廃刊で中古で高値がついている。これも40年の時の流れという事か。

 

  個人的に、というか職業的に懐かしかったのは武田薬品ニコリンという点滴製剤。意識障害の改善という私の専門科では画期的な薬が出た、と当時は使いまくったが、全くと言っていいほど効かなかった。やっぱり夢のような薬なんてないねえ、ともう過去の薬と我が科では思われている。

  で今はもう製造もしなくなっているものと思っていたが、ググってみると、まだあるらしい。適応病名もいっぱいある。驚きだった。

 

 

『売り物になるショートショートの3要素は、新鮮なアイデア、完全なプロット、意外な結末。では、どうすればその条件をそなえた作品を書けるのか?「SFの短編の書き方」を始め、星新一独特の“ものの見方”、発想法が垣間見える名エッセイ集。短編集未収録の時事ショートショート「公害・十年後の東京」「せまいながらも」「三隠円の犯人」「未来のあなた」「宅地造成宇宙版」を収めた、ファン必携の永久保存版。 (AMOZON解説より)』

モンティニーの狼男爵 / 佐藤亜紀

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  佐藤亜紀の「鏡の影」の次の、1995年の作品である。この後に傑作「1809」「天使」と続くので、やや陰が薄い(実際既に廃刊で電子書籍化もされていない)が、やっぱりその筆力は侮れないし、彼女らしい饒舌ぶりはますます脂がのっている感さえある。

 

  よくある変身譚でありながら、引っ張る引っ張る。「ルー・ガルー」である大人しくて奥様を寝取られる情けない主人公の男爵が完全に変身するのは中盤もだいぶ過ぎてから。そこからはもうグイグイ一直線に引っ張っていくが、それまでの伏線のはりかたが実に上手い。まるで饒舌の草叢の中に巧妙に隠された罠のようだ。

 

  だから読み終えて、もう一度第一章を読み返してから満足感はやって来るだろう。数多ある欧州の童話や人狼譚を佐藤亜紀流小説に仕立て上げた、面白い話だった。

 

フランス革命前夜、パリからはなれた田舎町モンティニー。ひとりの男爵が、妻を寝とられ、狼に変身する。涙と笑いなしには読めない、異色滑稽転身譚。(AMAZON解説より)』

 

 

 佐藤亜紀を読むシリーズ

バルタザールの遍歴

戦争の法  

鏡の影

モンティニーの狼男爵

天使

雲雀

スウィングしなけりゃ意味がない

尻啖え孫市(上)(下) / 司馬遼太郎

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  和田竜の「村上海賊の娘」で久しぶりにその名前を目にした雑賀の孫市。この男の小説と言えばこれしかない、という決定版。司馬遼太郎先生の「尻啖え孫市」だ。

 

 

織田信長岐阜城下に、真っ赤な袖無羽織に二尺の大鉄扇、「日本一」と書いた旗を従者に持たせた偉丈夫がふらりと姿を現した。その名は雑賀孫市。鉄砲三千挺の威力を誇る紀州雑賀衆の若き頭目だった。無類の女好きが、信長の妹を見初めてやってきたのだ。孫市を何とか織田方に引き入れようと、木下藤吉郎は策を巡らす。はたしてその姫君とは…。戦国を駆け抜けた破天荒な快男児を描く痛快長編!(AMAZON解説より)』

 

  エッセイ的な語りから始めて、小説というウソ話に持ち込む、という虚実皮膜の手法で歴史上の英傑を活写しつつ深い洞察を加える、というスタイルで「司馬史観」を築いていった司馬先生。この手法には批判もあるが、とにかく面白いのは間違いないところ。

 

  今回描くのは、戦国時代というある意味自由な世を謳歌していた紀州雑賀の鉄砲衆の首領雑賀孫市、旧弊の因襲を良しとせず徹底的に破壊しつくして天下を取らんとする織田信長、そしてその仲を取り持つ食えない男木下藤吉郎。そして親鸞の教えをある意味捻じ曲げて巨大な宗教組織となり、織田信長の前に立ちふさがる一向宗

 

  これらをまともに論じると頭が痛くなるような複雑な話になるが、司馬先生の手にかかると、スリル満点の歴史アクションに適度なお色気が混じりあい、抜群のページターナーと化す。筆が滑りすぎて雑賀の末裔の方々から、孫市を好色に描きすぎるとお叱りを受けた、という話題から始まる章もあるくらい。

 

  和田竜も「村上海賊の娘」でこの時代の人間の生き方に共感を寄せていたが、司馬先生も、孫市、藤吉郎、信長、それぞれに思いを寄せていて見事だ。

 

  一向宗については、やはり信者を

 

欣求浄土(死こそあこがれ)」

「厭離穢土(この世はいや)」

 

といういわば洗脳で信者を死に追いやる集団である、という点に司馬先生は批判的である。現在の道徳観・宗教観からすれば当然であるが、ひたすら身分差別で虐げられていた当時の民衆にとってあまりにもまぶしく新しい価値観であったことも確かだったであろう。その辺りの機微を知り尽くした語り口はやはり面白い。なにしろ、最後の最後の戦いのクライマックスで、ひたすら女好きで自由奔放で一向宗嫌いだった孫市さえもが

 

南無阿弥陀仏

 

と唱えて陶然となるのである。

 

  まあ、読んで損はない、抜群に面白い小説である。

アンジェリーナ 佐野元春と10の短編 / 小川洋子

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    以前「本が好き!」で踊る猫さんのレビューを絶賛したことがある小川洋子の短編集。でも個人的にはこの本はMOTO the  Lionこと佐野元春の大ファンの私としては逆にレビューし辛い。小川洋子らしい小説もあるのだが、全体としてMOTOの音楽に比べると大して面白くないし、シンクロしきれていない気がするのだな。

 

アンジェリーナ

    残念ながら佐野元春の詩には遠く及ばない。主人公が化学会社でバクテリアの研究をしてるからって、自分のマンションで細菌培養してるって、どうよ。

   それにしても、モトの詩を活字であらためて眺めてみると、凄いなと思う。彼はやはり詩人として天才。

 

バルセロナの夜

  ちょっといい。小川洋子ならではの世界。「愛してる気持ちは いつも変わらない」が最後にうまくフィットしている。

 

彼女はデリケート

  う~ん、曲調と内容が今一つマッチしていないような。もっとポップにしても良かった気がする。

 

誰かが君のドアを叩いている

  小川洋子らしい小説。客観的にはちゃんと存在している左足を「失った」女がある温室で暮らすようになる。温室管理人の言葉に心の平穏を取り戻しはするが、次いで右足、右手と体の記憶を失っていく。管理人は

「君がもし、身体の記憶を全部失ったとしても、僕はやっぱり、君の元を訪ねる。君のドアを叩くよ。」

と、言った。これがまあ、一番いいかな?

 

奇妙な日々」 

  不条理系。村上春樹的な。

 

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

  とってつけたような無理矢理なストーリー。

 

また明日・・・

  これは小川洋子的不条理系でいい。「また明日・・・」という、TV番組の終了を告げる声に恋した僕は、その声を提供しているみみずくクラブという会社に出かけていき、一週間の約束でその声のピアスをつけてもらうが。。。

 

クリスマス・タイム・イン・ブルー

  飛行機の中で恋人に宛ててクリスマスの思い出二つを書いている僕。これもなんか村上春樹的。

 

ガラスのジェネレーション

  高校時代の恋人に偶然再会した男女の会話。何ということはない話だが、フラミンゴの出し方無理ありすぎ。

 

情けない週末

  本当にMOTOのコンサートから帰るシーンから始まる。面倒くさい女、あまり面白くない話。

 

解説は江國香織さんだ。これはいい。

  

 

『アンジェリーナ、バルセロナの夜、彼女はデリケート…時が過ぎようと、いつも聞こえ続ける歌がある--。佐野元春の代表曲にのせて、小川洋子がひとすじの思いを胸に奏でる、繊細で無垢で愛しい恋物語、十編。(AMAZON解説より)』